戦国時代の合戦をゲームや映画で見ると、軍勢はきれいに分かれています。
槍兵。
弓兵。
鉄砲隊。
騎馬隊。
そして後方には総大将と旗本。
そのため、
「戦国大名も、現代の軍隊のように兵種ごとの部隊を作っていた」
と思ってしまいがちです。
しかし実際の戦国大名軍は、そこまで単純ではありません。
戦国大名の軍勢を理解するうえで非常に重要なのが、
各家臣が、自分に課された軍役に応じて人員・武器・馬などをそろえ、自分の部隊を率いて参陣する
という構造です。
後北条氏の天正9年(1581)「北条家着到定書」では、池田孫左衛門尉について、本人と指揮下の寄子の知行に応じて、
- 本人を含む56人
- 槍
- 鉄砲
- 皮笠
- 甲
- 具足
などが細かく規定されていました。
つまり一人の家臣が、
「槍兵だけ」
を連れてくるのではありません。
一つの家臣団・手勢の中に、異なる役割・装備を持つ人員が含まれることがあります。
こうした大小の部隊が集まり、
先陣。
二陣。
本隊。
旗本。
後陣。
などとして配置されることで、大軍が形成されます。
さらに軍勢には戦闘員だけでなく、
- 荷駄
- 馬
- 人夫
- 兵糧輸送
- 陣地構築要員
も必要です。
したがって戦国時代の軍勢を、
騎馬隊500
槍隊2,000
鉄砲隊1,000
という兵種だけで理解すると、重要な部分を見失います。
この記事では、
- 戦国大名の軍勢はどう集められたのか
- 軍役とは何か
- 手勢とは何か
- 備とは何か
- 旗本とは何か
- 先陣・本陣・後陣は何を意味するのか
- 騎馬武者と足軽はどう組み合わされたのか
- 鉄砲・弓・長柄はどう配置されたのか
- 荷駄・人夫は軍勢のどこにいたのか
を整理します。
Article 102の家臣団、Article 103の軍役、Article 104の兵站、Article 110の馬廻、Article 112の足軽をつなぐ、戦国軍事クラスターの中核記事です。
戦国軍をどう理解するか
| 誤解 | 実態理解 |
|---|---|
| 槍隊・騎馬隊・鉄砲隊へ完全兵種別編成 | 家臣・領主ごとの部隊を基礎に、長柄・弓・鉄砲などの集団運用も組み合わせる |
| 1備=固定人数 | 大名・時期・軍勢により異なる |
| 騎馬武者=近代騎兵 | 移動・指揮・戦闘など複数の性格 |
理解用の概念図
総大将
↓
有力家臣Aの手勢/有力家臣Bの手勢/国衆Cの手勢/大名直属・旗本周辺
各手勢内部:騎馬武者・徒歩武士・足軽・槍・弓・鉄砲・従者等
別途支援:荷駄・人夫・兵站
標準編制図ではなく、理解用の概念図です。
まず結論|戦国時代の軍勢はどう編成されたのか
最初に最重要点を整理します。
戦国大名の軍勢は、大まかには、
大名・有力家臣・国衆などが、それぞれ自分の配下を率いて参陣し、その大小の部隊をさらにまとめて大軍を構成する
仕組みでした。
つまり、
総大将
↓
槍隊
↓
弓隊
↓
鉄砲隊
↓
騎馬隊
という完全な兵種別軍隊を最初から想定するより、
総大将
↓
有力家臣Aの手勢
有力家臣Bの手勢
有力家臣Cの手勢
大名直属兵力
という構造をまず考えるほうが分かりやすくなります。
そして各家臣の手勢の中に、
- 騎馬武者
- 徒士
- 足軽
- 槍
- 弓
- 鉄砲
- 旗持ち
- 人夫
などが含まれます。
ただし戦国後期には、長柄・鉄砲などをまとまった集団として運用する動きも進みます。
つまり、
領主別の編成を基礎としながら、必要に応じて兵種・武器別の組織戦を発達させた
と考えるのが重要です。
現代軍の編制をそのまま当てはめない
現代軍には、
師団。
旅団。
連隊。
大隊。
中隊。
小隊。
のような階層的編制があります。
それぞれ指揮官・定員・装備などが制度化されています。
戦国時代にも、
- 備
- 手勢
- 旗本
- 先陣
- 後陣
など軍勢を示す言葉があります。
しかし、
1備=現代軍の1大隊
のように一対一で対応させることはできません。
戦国大名家ごとに軍役制度も家臣団構造も異なります。
同じ大名家でも時期によって変化します。
そのため、戦国軍制を理解するときは、
固定人数より「誰が誰を率いているか」
を見ることが重要です。
戦国大名一人が全兵士を直接集めたわけではない
戦国大名が1万人を動員するとします。
現代的なイメージでは、大名の役所が領国内から1万人を直接募集し、軍隊を作るように思えます。
しかし実際には、大名の家臣団そのものが軍事力の供給単位になります。
有力家臣Aが300人。
家臣Bが100人。
家臣Cが50人。
国衆Dが500人。
大名直属の足軽。
こうした軍勢を集めて、大きな軍を作ります。
家臣は自分の知行や立場に応じて軍役を負担します。
つまり戦国大名軍は、
多数の小さな主従関係を積み上げて形成される軍隊
という性格を持っています。
家臣ごとの軍役が軍勢の基礎
Article 103で扱った軍役がここで重要になります。
戦国大名は家臣に対し、知行規模などに応じて軍事負担を求めました。
軍役は単に、
「兵を10人連れてこい」
という人数だけとは限りません。
- 馬
- 武器
- 甲冑
- 槍
- 弓
- 鉄砲
などが規定される場合があります。
つまり家臣は、
自分自身だけでなく、一つの小部隊を用意して参陣する
のです。
この小部隊が集まることで大名軍が成立します。
後北条氏の「56人」の軍役例
具体例として非常に分かりやすいのが、天正9年(1581)7月24日の「北条家着到定書」です。
後北条氏が池田孫左衛門尉に課した軍役を記した史料です。
小田原市によると、池田孫左衛門尉の場合、
本人の知行。
指揮下にある寄子の知行。
などを合わせた貫高に応じて軍役が決められています。
規定された人員は、
本人を含め56人
でした。
しかも人数だけではありません。
- 鑓
- 鉄砲
- 皮笠
- 甲
- 具足
などの装備も規定されています。
この史料は、
戦国大名の部隊は一種類の兵だけで構成された
わけではないことをよく示しています。
池田孫左衛門尉は、自分の指揮下に複数の人員・装備をそろえて参陣します。
このような大小の部隊が集まって大名軍になるのです。
寄親・寄子と軍勢編成
戦国大名家では、直属家臣だけですべてを直接統率するとは限りません。
有力家臣を中心として、その指揮下に別の家臣を付属させる仕組みがあります。
一般に、
寄親・寄子
という関係で説明されることがあります。
ただし家ごと・時期ごとに実態は違います。
後北条氏の着到定書でも、池田孫左衛門尉自身の知行だけでなく、指揮下にある寄子の知行が軍役算定に関係しています。
つまり戦国大名は、
すべての末端兵士へ直接命令する
のではなく、
複数段階の指揮関係
を利用して軍勢を編成しました。
手勢とは何か
戦国史でよく出てくる言葉に、
手勢
があります。
「○○は手勢300を率いて出陣した」
という表現です。
手勢とは一般には、
その武将が直接率いている兵力・配下の軍勢
という意味で理解できます。
重要なのは、
「手勢」という全国共通の正式部隊規格があったわけではない
ことです。
武将Aの手勢は数十人。
武将Bの手勢は数百人。
有力大名級ならさらに大きい。
ということがあります。
手勢は固定人数の部隊ではない
「手勢500」と書かれていた場合、
それは、
1個手勢という部隊単位が500人
という意味ではありません。
その武将が率いる兵力が500人程度だった、という文脈で使われます。
その中には、
- 一族
- 家臣
- 被官
- 足軽
- 人夫
などさまざまな人員が含まれる可能性があります。
したがって、
手勢=現代軍の中隊
などと換算することはできません。
備・手勢・旗本のおおまかな説明
時期・大名・史料により用法差あり。
用語の比較
| 用語 | おおまかな説明 |
|---|---|
| 備 | 陣立て・軍勢のまとまり。固定人数ではない。 |
| 手勢 | ある武将が直接率いる配下軍勢。固定部隊規格ではない。 |
| 旗本 | 戦国期軍事文脈では主君周辺・直属中枢軍勢を示す場合がある。江戸幕府の制度的旗本とは区別。 |
「備」とは何か
戦国軍制を調べると、
備(そなえ)
という言葉が出てきます。
「赤備え」という言葉でも有名です。
備は、軍勢のまとまりや陣立て上の単位を示す言葉として使われます。
複数の武将・兵を一つのまとまりとして配置し、
先鋒。
中軍。
後方。
などに置くことがあります。
しかし、ここで注意が必要です。
備は全国統一規格の部隊ではありません。
大名家。
軍勢規模。
時期。
史料。
によって、その実態は異なります。
1備は何人だったのか
「1備は何人ですか?」
という疑問は非常に多いでしょう。
しかし、
全国共通で1備=500人
のような数字は出せません。
ある備が数百人規模の場合もあれば、より大きい場合もあります。
配置される武将・部隊の規模によって変わります。
さらに、後世の軍学書が示す理想的な備と、戦国期の実際の軍勢編成を区別する必要があります。
人数を知りたい場合は、
特定の大名・特定の合戦・特定の史料
まで絞る必要があります。
備と近代軍の大隊は同じではない
備を説明するとき、
「現代の大隊のようなもの」
と例えると理解しやすい場合があります。
しかし完全に同じではありません。
現代軍の大隊は、
- 定員
- 階級
- 装備
- 指揮系統
が制度化されています。
戦国期の備には、そうした全国共通規格がありません。
さらに家臣それぞれの主従関係を残したまま編成されることがあります。
そのため本記事では、
備=大隊
という等式は使用しません。
大名軍は領主別編成だったのか
戦国軍を理解するうえで重要な論点です。
基本的には、
家臣・領主ごとの軍勢を積み上げる構造
が非常に重要です。
各家臣が自分の配下を率いて参陣します。
つまり、
前田隊。
柴田隊。
北条家臣○○隊。
というように、指揮する領主・武将を中心としたまとまりが基礎になります。
西股総生氏も、
「戦国大名の軍隊は兵種別編成だったのか?」
という問いから、
領主別編成と兵種別編成の問題を検討しています。
戦国軍を現代軍のような純粋兵種別編制として見るべきではありません。
兵種別編成も存在したのか
では、
槍足軽。
鉄砲足軽。
弓足軽。
のようなまとまりは存在しなかったのでしょうか。
そういう意味でもありません。
戦国後期には、長柄・弓・鉄砲などを集団で運用することが重要になります。
特に鉄砲は、
- 射撃
- 装填
- 火薬
- 弾丸
を組織的に扱う必要があります。
そのため特定武器を持つ兵士をまとめて運用することがあります。
重要なのは、
領主別編成か兵種別編成か、完全な二者択一ではない
ことです。
主従関係を基礎にした軍勢の中で、兵種別・武器別の運用が発達していったと考える必要があります。
足軽はどこに入ったのか
Article 112で詳しく扱った足軽は、大名軍の重要部分です。
家臣が率いる手勢に含まれることがあります。
大名直属の足軽として組織される場合もあります。
長柄。
弓。
鉄砲。
などを持つ足軽もいます。
つまり足軽は、
軍勢の一番下に一種類だけ存在する兵士
ではありません。
雇用・奉公関係も役割も多様です。
長柄足軽の役割
長柄は長い槍です。
長い槍を集団で使うことで、戦列として大きな効果を発揮します。
これはArticle 112でも扱った通りです。
長柄足軽の存在は、
戦国軍隊が個人の武勇だけではなく、
- 隊列
- 指揮
- 集団行動
を重視する方向へ変わったことを示しています。
ただし長柄足軽を、
現代軍の「槍兵科」
のような固定制度として扱う必要はありません。
弓足軽・鉄砲足軽の役割
遠距離攻撃には弓・鉄砲が使われます。
鉄砲伝来後も弓がすぐ消滅したわけではありません。
両者は併用されます。
鉄砲を大量に使うには、
- 火薬
- 弾丸
- 火縄
- 整備
が必要です。
つまり鉄砲足軽の存在は、兵站とも直接つながっています。
大量の鉄砲を購入できても、弾薬を供給できなければ戦力にはなりません。
騎馬武者とは何か
戦国軍のもう一つの代表的イメージが騎馬武者です。
有力な武士は馬を所有し、騎乗して出陣します。
馬には、
- 移動
- 指揮
- 戦闘
など複数の用途があります。
しかし、
騎馬武者=近代的騎兵
と完全同一視するのは避ける必要があります。
戦況・地形によって徒歩で戦うこともあります。
常に大集団で騎馬突撃だけを行う存在ではありません。
「騎馬隊」は存在したのか
軍勢の中に騎馬武者が複数まとまって行動することはあります。
したがって一般向け説明として「騎馬隊」という言葉を全く使えないわけではありません。
ただし、
戦国軍は騎馬兵科・槍兵科・鉄砲兵科に完全分離されていた
という意味で使うと誤解を生みます。
騎馬武者も家臣団・手勢の一部です。
彼ら自身が従者や足軽を伴うこともあります。
武田騎馬軍団というイメージ
武田信玄・勝頼の軍勢には、
武田騎馬軍団
という有名なイメージがあります。
しかし、
大量の騎兵だけで編成された近代的騎兵軍団
を想像するのは適切ではありません。
武田軍にも、
- 徒歩武士
- 足軽
- 弓
- 鉄砲
- 槍
- 荷駄
などが必要です。
騎馬武者だけでは軍隊は成立しません。
特定の大名軍を一つの兵種だけで特徴づけすぎないことが重要です。
馬廻は騎馬隊ではない
Article 110で扱った馬廻も、名称に「馬」が入っています。
しかし馬廻は単なる騎兵隊ではありません。
主君直属の護衛・親衛的武士層という性格が重要です。
戦場では主君周辺を守ります。
つまり、
馬廻。
騎馬武者。
騎馬隊。
はすべて同義ではありません。
旗本とは何か
「旗本」という言葉も、時代によって意味が変わります。
戦国期の軍事文脈では、
主君の旗のもとに集まる直属・中枢の軍勢
という意味で使われることがあります。
総大将周辺の直属家臣・護衛などを含む軍勢を理解するうえで便利な言葉です。
しかし、
旗本=江戸幕府の将軍直属家臣
という近世の制度的意味だけで戦国期を読むと混乱します。
戦国期の旗本と江戸幕府の旗本は違う
江戸幕府では「旗本」は制度上の家臣身分として明確な意味を持ちます。
しかし戦国期の記事で、
「大名の旗本」
という場合、必ずしも江戸幕府の旗本と同じ制度を意味しません。
主君の本隊・直属部隊・側近などを示す軍事的用法があります。
したがって本文では文脈を区別します。
本陣とは何か
本陣は、総大将が指揮を執る中心的な陣所です。
そこには総大将本人だけでなく、
- 側近
- 馬廻
- 旗持ち
- 伝令
- 護衛
などが集まります。
しかし本陣も常に同じ人数・同じ構成ではありません。
合戦。
地形。
軍勢規模。
によって変わります。
先陣とは何か
軍勢の先頭側で戦う部隊は、
先陣
と呼ばれます。
先陣には、
- 敵との最初の接触
- 道の確保
- 攻撃開始
など重要な役割があります。
そのため有力武将が先陣を任されることがあります。
先陣争いが物語として多く残るのも、先陣を務めることが武功・名誉と結びつくためです。
ただし先陣を一種類の固定兵科として考えるべきではありません。
先陣そのものが複数の武将・兵種を含む可能性があります。
二陣・後陣とは何か
先陣の後ろには、
二陣。
三陣。
後陣。
などが配置される場合があります。
これらは、
前の部隊を支援する。
状況を見て投入される。
後方を守る。
などの役割を持ちます。
しかし、
全国の戦国軍は必ず先陣→二陣→三陣→本陣→後陣の5層構造
だったわけではありません。
陣立は状況によって変わります。
陣立とは何か
軍勢を、
どの武将が、
どの順番で、
どこに配置されるか
決めることを陣立として説明します。
戦国史には「陣立書」と呼ばれる資料もあります。
有名武将の軍勢配置を示す図も多数伝わっています。
しかし注意が必要です。
陣立書には、
- 戦国期の実用文書
- 後世の写本
- 軍学的整理
など異なる性格の資料があります。
したがって、図が残っているからといって、
その通りの人数・配置で実戦したことが完全に証明された
とは限りません。
有名な陣形図をどう見るべきか
戦国時代には、
鶴翼。
魚鱗。
雁行。
偃月。
など有名な陣形名があります。
ゲームでは、
「魚鱗は攻撃力上昇」
「鶴翼は包囲に強い」
と分かりやすく表現されます。
しかし実際の戦場は、
- 地形
- 敵位置
- 道
- 河川
- 城
- 兵力
によって変わります。
また後世の軍学が整理した陣形論を、そのまま全戦国合戦へ当てはめることにも注意が必要です。
乃至政彦『戦国の陣形』も、こうした陣形の成立・変遷を再検討しています。
総大将はどこにいたのか
総大将は本陣に位置するのが基本イメージです。
しかし本陣は、
安全な遠方から眺める司令室
ではありません。
敵が突破すれば、本陣そのものが戦場になります。
総大将を守るため、
- 馬廻
- 小姓
- 直属武士
などが周囲に配置されます。
Article 110で見た主君直属層は、ここで軍事的役割を発揮します。
軍勢を動かす指揮と伝令
1万人の軍勢で、総大将が大声を出して全員へ直接命令することはできません。
そのため命令を伝える仕組みが必要です。
- 使者
- 伝令
- 旗
- 太鼓
- 法螺貝
- 合図
などさまざまな方法が使われます。
さらに、
総大将
↓
有力武将
↓
配下家臣
↓
足軽
という指揮関係を利用します。
だからこそ領主別・家臣別の編成は、単に封建的な古い仕組みではなく、
大軍へ命令を伝える現実的な仕組み
でもあります。
旗・指物・馬印の役割
戦場には大量の人間がいます。
現代のように無線通信もGPSもありません。
そこで重要になるのが視覚的な識別です。
旗。
指物。
馬印。
などによって、
- 味方がどこにいるか
- 指揮官がどこにいるか
- どの部隊か
を識別します。
旗印は単なる装飾ではなく、軍勢を維持する情報手段でもあります。
荷駄も軍勢の一部
合戦図では武士・足軽ばかり描かれます。
しかし軍勢には、
荷駄
が必要です。
Article 104で扱ったように、軍隊には大量の物資が必要です。
- 兵糧
- 武器
- 火薬
- 弾丸
- 馬具
- 炊事用品
などを運ばなければなりません。
そのため荷駄隊・輸送要員は、戦闘員ではなくても軍事行動を成立させる不可欠な存在です。
人夫・陣夫は何をしたのか
戦争には戦闘以外の作業が大量にあります。
陣地を作る。
堀を掘る。
柵を作る。
物資を運ぶ。
道を整える。
橋を作る。
こうした作業には人手が必要です。
村落・地域社会から人夫が動員される場合があります。
つまり戦国大名軍の「1万人」という数字を見ても、
その全員が刀や槍を持った戦闘員とは限りません。
軍勢人数の史料を読む際には、何を人数に含んでいるのか注意が必要です。
鉄砲隊には弾薬補給が必要
鉄砲足軽100人を用意しても、
弾丸が10発分しかなければ長く戦えません。
火薬。
鉛。
火縄。
保守。
運搬。
が必要です。
つまり兵種の編成と兵站は別問題ではありません。
強力な鉄砲部隊を使うには、
その部隊を継続して戦わせる補給組織
も必要です。
Article 104の兵站とArticle 112の足軽は、ここで直接つながります。
数万の軍勢はどう作られたのか
戦国時代後期には、数万規模の軍勢が動く戦争があります。
こうした大軍を、
一人の大名が末端兵士まで直接採用・管理していた
と考える必要はありません。
大名。
一門。
宿老。
有力家臣。
国衆。
その配下。
足軽。
人夫。
という多層的な関係から軍勢が形成されます。
後北条氏の着到定書が示すように、一人の家臣の下にもさらに寄子などが付きます。
つまり大軍とは、
多数の小規模軍事組織を束ねたもの
でもありました。
軍勢の編成は大名ごとに違う
武田氏。
上杉氏。
後北条氏。
毛利氏。
織田氏。
島津氏。
それぞれ、
- 家臣団構造
- 国衆との関係
- 軍役基準
- 直属兵力
- 領国構造
が違います。
したがって、
「戦国時代の標準軍団編成」
という一種類の表を作るのは危険です。
比較するなら、
特定大名家ごとの史料
を見る必要があります。
後北条氏には着到定書があります。
毛利氏についても軍事力編成を研究した古文書研究があります。
武田氏には軍役・陣立に関する史料・研究があります。
個別研究の積み重ねから全体像を考えることが重要です。
織田・豊臣軍はなぜ大軍を動かせたのか
織田信長・豊臣秀吉の強さを、
「農民を兵農分離して常備軍を作ったから」
だけで説明するのは単純化しすぎです。
Article 111で説明したように、兵農分離自体が長期的・複合的な変化です。
大軍を動かすには、
- 家臣団統制
- 動員
- 道路
- 城
- 兵糧
- 輸送
- 資金
- 指揮
などを組み合わせる必要があります。
西股総生『戦国の軍隊』も、戦国大名の軍事改革を、封建制的な軍事力編成を残しながら組織戦へ対応していく過程として論じています。
強い軍隊とは、
特殊な兵種を一つ持つ軍隊
ではなく、
多数の部隊を組織し、移動させ、食べさせ、指揮できる軍隊
でもありました。
戦国ゲームの軍団編成との違い
ゲームでは、
槍兵2,000。
騎馬1,000。
鉄砲1,000。
弓500。
のように兵種別へ自由に編成できます。
これはゲームシステムとして非常に合理的です。
しかし史実の戦国軍は、
家臣Aの部隊。
家臣Bの部隊。
国衆Cの部隊。
直属足軽。
旗本。
という主従関係を基礎に持っています。
その中に槍・弓・鉄砲・騎馬が存在します。
つまり実際の軍勢は、
「誰の兵か」と「何を装備しているか」という二つの軸
を持っていました。
この違いを理解すると、戦国軍の姿がかなり見えやすくなります。
よくある誤解
誤解1|戦国軍は槍隊・騎馬隊・鉄砲隊に分かれていた
武器別の集団運用はありますが、軍勢の基礎には家臣・領主ごとの部隊編成があります。
完全な近代的兵種別軍ではありません。
誤解2|1備は500人だった
全国共通の固定人数ではありません。
大名・時期・軍勢規模によって異なります。
誤解3|備は現代軍の大隊と同じ
似た説明に使うことはできても、定員・制度が統一された大隊とは異なります。
誤解4|手勢は正式な部隊単位だった
一般には武将が直接率いる配下の軍勢を示す言葉で、全国共通の固定定員部隊ではありません。
誤解5|旗本は江戸幕府の旗本と同じ
戦国期の軍事文脈では主君周辺の直属軍勢などを示す場合があります。江戸幕府の制度的旗本とは区別が必要です。
誤解6|騎馬武者は全員騎兵として集団突撃した
馬は移動・指揮・戦闘などに用いられます。常に近代騎兵のような集団突撃をするとは限りません。
誤解7|馬廻は騎馬隊だった
馬廻は主君直属の護衛・親衛的武士層です。単なる騎兵兵種ではありません。
誤解8|大名が全兵士を直接雇っていた
家臣・国衆などがそれぞれ軍役に応じた部隊を率いて参陣し、それを束ねて大軍を形成する構造が重要です。
誤解9|数万の軍勢は全員戦闘員だった
軍勢には荷駄・人夫など非戦闘の軍事要員も含まれ得ます。史料ごとに人数の範囲を確認する必要があります。
誤解10|有名な陣形図は実戦配置をそのまま記録したもの
後世の軍学的整理や写本もあるため、成立時期・史料性を確認する必要があります。
まとめ
戦国時代の軍勢はどう編成されたのか。
最も重要なのは、
現代軍のような完全兵種別編成を最初から想定しないこと
です。
戦国大名軍の基礎には、
大名
↓
有力家臣
↓
その配下
↓
足軽・従者・人夫
という主従関係があります。
家臣は軍役に応じて人員・馬・武器などをそろえ、手勢を率いて参陣します。
後北条氏の1581年「北条家着到定書」では、池田孫左衛門尉が本人・寄子の知行に応じ、本人を含む56人と槍・鉄砲・甲冑などを用意することが規定されていました。
こうした大小の部隊が集まり、
先陣。
諸陣。
旗本。
本陣。
後陣。
などへ配置されます。
その中には、
- 騎馬武者
- 足軽
- 長柄
- 弓
- 鉄砲
が存在します。
さらに、
- 荷駄
- 人夫
- 兵糧
- 弾薬輸送
も必要です。
つまり戦国の軍勢とは、
単なる「兵士の数」ではありません。
主従関係、軍役、指揮、武器、輸送、兵站を一つの軍事組織として動かす仕組み
です。
Article 102の家臣団。
Article 103の軍役。
Article 104の兵站。
Article 110の馬廻。
Article 112の足軽。
これらを組み合わせることで、戦国時代の軍隊がようやく一つの全体像として見えてきます。
武田軍だから騎馬。
織田軍だから鉄砲。
という一語で軍隊を説明するのではなく、
誰が、誰を率い、どの軍役を負い、どの武器と物資を持って、どの位置に配置されたのか
を見ること。
それが戦国時代の軍勢編成を理解する基本です。
参考資料
1.
西股総生
『戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』
学研パブリッシング、2012年。
角川ソフィア文庫版、KADOKAWA、2017年。
主要論点:
– 中世の軍隊
– 軍団の編成
– 足軽と長柄
– 鉄砲
– 侍と雑兵
– 補給と略奪
– 戦国大名軍の二重構造
2.
西股総生
「戦国大名の軍隊は兵種別編成だったのか?
―徹底検証 領主別編成VS兵種別編成」
『歴史群像』
29巻4号・通巻162号、2020年8月、145-152頁。
国立国会図書館書誌ID:
030556422
3.
小田原市
「池田文書・和田文書・清水文書」
北条家着到定書
天正9年(1581)7月24日。
池田孫左衛門尉について、
本人・寄子の知行高に応じ、
本人を含む56人と、
鑓・鉄砲・皮笠・甲・具足等を規定。
小田原市は、
戦国大名の軍隊が各家臣が知行高に応じて率いてくる
大小の部隊から構成されたと解説。
4.
佐脇栄智
「後北条氏の軍役」
『日本歴史』393号、1981年、20-38頁。
国立国会図書館書誌ID:
2246116
5.
秋山伸隆
「戦国大名毛利氏の軍事力編成の展開」
『古文書研究』15号、1980年、1-19頁。
国立国会図書館書誌ID:
2234482
6.
東京大学史料編纂所
「武田信玄陣立書」
史料画像データベース。
DOI:
10.57459/hi.01.0m0__103ha__257
利用上注意:
陣立史料として参照するが、
内容・成立・伝来の検討なしに、
武田軍の全国共通標準編制としない。
7.
乃至政彦
『戦国の陣形』
講談社現代新書2351、2016年。
国立国会図書館書誌ID:
027017416
陣形・陣立の歴史的変化と、
後世の定型的戦国陣形像を検討する参考資料。
8.
国立国会図書館所蔵
『御旗本備作法』
江戸中期頃。
出陣時の陣立て行列図絵巻。
重要:
江戸中期頃の資料なので、
戦国期の軍勢編成をそのまま示す一次史料として使用しない。
後世の軍学・備理解との時代差を確認する比較資料。
FAQ
戦国時代の軍勢はどのように編成されましたか?
大名の家臣・国衆などが、それぞれ軍役に応じて配下の兵を率いて参陣し、それらの大小の部隊をまとめて大軍を編成しました。
「備」とは何ですか?
軍勢や陣立て上の一つのまとまりを示す言葉です。ただし全国共通の人数・構成を持つ固定部隊ではありません。
1備は何人ですか?
全国共通の固定人数はありません。大名家、時期、合戦、史料によって異なります。
手勢とは何ですか?
武将が直接率いる配下の軍勢を示す一般的な言葉です。現代軍の中隊のような固定定員部隊ではありません。
旗本とは何ですか?
戦国期の軍事文脈では、主君の旗のもとにある直属・中枢軍勢などを示すことがあります。江戸幕府の制度的な旗本身分とは区別が必要です。
戦国時代にも騎馬隊はありましたか?
騎馬武者が集団で行動することはありますが、近代的な独立騎兵科と完全同一視するのは適切ではありません。
足軽は誰の指揮下にいたのですか?
家臣の手勢に含まれる場合や、大名直属で組織される場合などがあります。大名・時期によって異なります。
戦国軍は兵種別に編成されていましたか?
長柄・弓・鉄砲などの集団運用は行われましたが、家臣・領主ごとの部隊編成も軍勢の重要な基礎でした。完全な兵種別常備軍とは異なります。
先陣・二陣・後陣は必ず存在しましたか?
軍勢を複数の陣に分ける例はありますが、全国共通の固定編制ではありません。合戦・軍勢規模によって異なります。
戦国時代の軍勢には非戦闘員もいましたか?
はい。荷駄・人夫・輸送・陣地構築など、軍事行動を支える人々も必要でした。史料上の軍勢人数がどこまでを含むかは個別確認が必要です。

