戦国時代の商人や職人は、誰でも自由に商品を作り、どこの市場でも同じ条件で販売できたわけではない。
ある地域では特定の商人たちが商品を販売する権利を持ち、その営業を有力な寺社や公家などが保護していた。
そうした中世の商工業を理解するうえで重要なのが、「座(ざ)」と「座役(ざやく)」である。
座は、商人や職人などが結成した同業者の組織を指す。
一方、座役は、座の構成員が本所などに対して負担した奉仕や物品、金銭などに関係する言葉である。
座の構成員は、一定の負担を担う代わりに、営業上の保護や課役の免除といった権利を得る場合があった。
ただし、座は全国共通の商業制度ではなかった。商品、地域、時期によって組織や権利の内容は大きく異なっていた。
鎌倉時代以来の大山崎の油商人と、戦国時代の京都に現れた紺灰問屋の座では、その成り立ちにも違いがある。
また、織田信長らの楽市楽座政策によって全国の座が一度に消滅したわけでもない。
この記事では、座と座役の基本的な意味から、本所、営業権、補任状、具体的な座商人の活動、戦国期における権利の変化まで、史料に基づいて解説する。
1. 座とは何か
座とは、中世の商人、職人、芸能民などが形成した同業者組織である。
中世の日本では、商業活動を保護する統一的な制度が全国に存在したわけではなかった。
土地や市場、商品の売買には、朝廷、寺社、公家、武家、地域の有力者などの権利が重なっていた。
商人や職人は、こうした権力との関係を通じて、自らの営業を守ろうとした。
その中で、同じ職業や商品に関係する人々が結合し、共通の権利や負担を持つことがあった。
これが座の重要な特徴である。
座の構成員は、特定の市場で商品を販売する権利を認められたり、一定の営業地域で他の商人に対して優越的な立場を得たりする場合があった。
一方、座に属するためには、所定の負担を引き受けたり、組織の規則に従ったりする必要があった。
ただし、すべての座が独占的な営業権を持っていたわけではない。
また、座が存在する地域で、座に属さない商人の営業がすべて禁止されていたとも限らない。
座を理解する際には、誰が構成員となり、どのような権利を持ち、何を負担していたのかを個別に確認する必要がある。
2. 座と座役の違い
座と座役は、密接に関係しているが同じ意味ではない。
| 用語 | 意味 | 主な確認事項 |
|---|---|---|
| 座 | 商人・職人などの同業者組織 | 構成員、営業範囲、組織の規則 |
| 座役 | 本所の保護や特権に対応して負担する奉仕・現物・金銭など | 負担先、負担内容、時期 |
| 座銭 | 座役に関係する金銭負担として用いられる言葉 | 金額、徴収権者、根拠文書 |
| 本所 | 座の権利の保護などに関係する上位の権威・権利者 | 寺社、公家、官司などとの関係 |
| 座商人 | 座に関係して営業する商人 | 商品、地域、座内の立場 |
| 営業権 | 商品の製造・販売・取引に関係する権利 | 独占・優先・地域制限などの実態 |
| 補任状 | 一定の職や地位への任命・承認を記す文書 | 発給者、受給者、権限の範囲 |
座は人々の結合した組織を指し、座役はそこに伴う負担の一つである。
座に属しているだけで、すべての商業上の負担を免除されるわけではない。
むしろ、ある権利を認められる代わりに、別の奉仕や負担を引き受けていた場合があった。
また、座役を現在の法人税や営業税とまったく同じものとして説明することもできない。
その性格は、宗教的な奉仕、権利に対する負担、一定の金銭納入など、複数の要素を含んでいた。
3. 座はいつから存在したのか
座の歴史は戦国時代より古い。
山川出版社の歴史小辞典では、座は平安時代後期に出現し、中世を通じて存在した同業者組織と説明されている。
朝廷や寺社に関係する供御人、神人、寄人などの人々が、奉仕や貢納を通じて一定の保護を受けたことが、座の成立を考えるうえで重要である。
こうした関係の中で、特定の職能を持つ人々が組織的に活動するようになった。
鎌倉時代には、寺社に関係する商人や職人の権利を示す文書が残されている。
その後、室町時代には商品流通や都市の発展に伴って、座の権利関係も変化した。
そして戦国時代には、従来の座が活動を続けるだけでなく、新たな権利関係を背景に成立する座も現れた。
したがって、座の歴史を「鎌倉時代に成立し、戦国時代に衰退した」とだけ説明するのは不十分である。
実際には、座の組織化が進む地域もあり、商業権の保護や調整が新たな形で行われていた。
4. 本所とはどのような存在だったのか
座を理解するためには、本所という言葉が重要である。
本所は、ここでは座の権利を保護し、奉仕や貢納を受ける立場にあった寺社、公家、官司などの権威や権利者を指す。
商人たちは本所との関係によって、特定の地域での営業や、課役に関する特別な取り扱いを認められる場合があった。
ただし、本所は商人の営業をすべて直接管理する現代的な行政機関ではない。
同じ商品を扱う商人であっても、誰を本所としていたかによって権利関係が異なることがあった。
また、一つの座の周囲に複数の権威や権利者が関わる場合もあった。
室町時代には、本所の保護だけでは営業を維持しにくくなり、地域の武家や有力者との関係が重要になることもあった。
本所から認められた権利と、実際に地域でその権利を行使できるかどうかは、必ずしも同じではなかったのである。
5. 神人・供御人・寄人とは何か
座の成立を考える際には、神人、供御人、寄人という言葉が登場する。
神人は、神社に所属し、祭礼や神事などへの奉仕に関わった人々を指す場合がある。
供御人は、天皇などのための物資供給や奉仕に関係する人々として知られる。
寄人も、寺社などとの関係の中で一定の奉仕や職能に関わる人々を指す。
ただし、これらの呼称があるからといって、全員が商人だったわけではない。
また、神人であることと、必ず特定の座に属することも同義ではない。
大切なのは、こうした身分的・組織的な関係が、営業権の保護や負担と結びつく場合があったことである。
座の組織を現代の商工会議所や協同組合と完全に同じものとして理解することはできない。
宗教的な奉仕、身分、営業上の利益などが重なり合っていたのである。
6. 座に入るとどんな権利が得られたのか
座に属する商人や職人には、一定の営業上の利益が認められる場合があった。
代表的なのは、特定の商品について優先的に販売できる権利や、決められた場所で営業する権利である。
商品を仕入れる範囲や、他の商人の参入を制限する権限が問題となる場合もあった。
しかし、こうした権利は全国共通ではない。
ある座が特定の商品を独占的に販売できたとしても、他の座が同じ権限を持ったとは限らない。
また、座の権利を認める文書があっても、実際には新たな商人との競争や地域権力との対立が生じることがあった。
したがって、座は商業上の競争が完全になくなる仕組みではなかった。
むしろ、誰が正当な営業権を持つのかをめぐる争いが、座の活動を通じて現れる場合もあった。
7. 座役にはどのような負担があったのか
座役は、座の構成員が本所などに対して負担した奉仕や物品、金銭などに関係する。
山川出版社の『山川 日本史小辞典』では、夫役、現物、代銭などが座役として説明されている。
例えば、寺社の祭礼や儀式に関わる奉仕を担う場合があった。
また、必要な物資を納めることが求められる場合もあった。
さらに、こうした現物や奉仕の代わりに金銭が納められることもあった。
重要なのは、座役を一つの固定金額として扱わないことである。
商品、地域、時期によって負担は異なり、同じ本所に関係する座でも同一の負担とは限らない。
また、文書で座役が定められていることと、そのすべてが常に滞りなく納められていたことは別である。
負担をめぐる交渉や、徴収権そのものをめぐる争いも生じ得た。
8. 座役と関銭・諸公事の違い
中世の商人が負担したものには、座役以外にも関銭や諸公事などがあった。
これらをすべて同じ税金として説明するのは適切ではない。
| 負担・制度 | 主な性格 | 注意点 |
|---|---|---|
| 座役 | 本所の保護や座の特権に関係する奉仕・貢納 | 全国一律の定額制度ではない |
| 座銭 | 座役に関係する金銭負担 | 実際の内容は文書ごとに確認 |
| 関銭 | 関所などで通行や積荷に対して徴収する金銭 | 徴収権者と通行者の関係が重要 |
| 諸公事 | 多様な課役や負担を指す言葉 | 地域・時期・文脈によって内容が異なる |
| 神事奉仕 | 神社の祭礼や儀礼に関わる奉仕 | 座の活動と結びつく例がある |
| 営業権 | 商品の取引などを行うための権利 | 負担そのものではない |
例えば、ある油商人が神社に灯油を納めていたことと、関所で関銭を支払うことは別の問題である。
特定の関所で関銭を免除されていたとしても、本所への奉仕がなくなったわけではない。
また、諸公事が免除された場合にも、その範囲を文書で確認しなければならない。
こうした権利と負担の組み合わせが、中世商業の大きな特徴だった。
9. 大山崎の油商人とは何者か
座商人の代表的な事例として知られるのが、大山崎の油商人である。
大山崎は現在の京都府乙訓郡大山崎町にあたり、京都と大坂を結ぶ交通上の重要な地域だった。
この地域の油商人たちは、石清水八幡宮や離宮八幡宮との関係を背景に、荏胡麻油の仕入れ、製造、販売に関わった。
荏胡麻油は、中世に灯火などへ利用された重要な油である。
大山崎の神人たちは、神事や灯油納入などの奉仕を行う一方、営業上の特権を得て活動した。
文化庁の重要文化財解説によれば、離宮八幡宮に伝わる文書群は、大山崎の油商人の活動と座の仕組みを具体的に知る資料である。
ただし、大山崎の油商人が活動していたことと、当時から一貫して「大山崎油座」という名称で呼ばれていたことは区別する必要がある。
組織の実態は古いが、名称の史料上の出現には年代差があるからである。
10. 荏胡麻油はなぜ重要だったのか
中世には、明かりをともすために油が必要だった。
寺院や神社の灯明だけでなく、人々の生活や生産活動でも油が利用されていた。
大山崎の油商人が関わった代表的な商品が荏胡麻油である。
荏胡麻は種子から油を採る植物であり、採油と販売には原料の調達、加工、運搬、取引が必要だった。
つまり、油商人の活動は単に市場で完成品を売るだけではなかった。
原料を集め、油を製造し、各地へ販売する仕組みが重要だった。
ただし、油の生産量や価格について、全国共通の数値を設定することはできない。
また、大山崎の商人が日本中のすべての油の取引を完全に支配していたと考えるべきでもない。
営業特権がどの地域・商品・取引に及んだのかは、時期ごとの文書を確認する必要がある。
11. 大山崎と離宮八幡宮の関係
大山崎の油商人の活動を伝える重要な史料が『大山崎離宮八幡宮文書』である。
この文書群は、鎌倉時代から近世にかけての多くの記録を含み、国の重要文化財に指定されている。
文化庁の解説では、神事奉仕や灯油の納入と、荏胡麻の仕入れ・製造販売に関する特権との関係が説明されている。
この事例から、商人の営業権が宗教的な奉仕と結びついていたことが分かる。
ただし、離宮八幡宮の成立年代や、石清水八幡宮との関係についても、研究上の検討がある。
そのため、大山崎の油商人と離宮八幡宮の関係が、現在知られる形のまま平安時代から続いていたと断定することは避ける。
ここでは、残された文書から確認できる活動を中心に理解する。
12. 1222年の関料免除文書
大山崎の油商人に関係する古い文書の一つに、貞応元年(1222年)12月17日の六波羅下知状がある。
文化庁の重要文化財解説では、大山崎神人が美濃国不破関の関料を免除されたことを伝える文書として紹介されている。
この文書は、営業上の特権が交通上の負担とも結びついていたことを示す重要な事例である。
商人が遠方へ商品を運ぶとき、関所で負担が求められる場合があった。
その負担を特定の人々について免除することは、商品輸送や取引に影響したと考えられる。
ただし、1222年の関料免除を、戦国時代の全国すべての関所にそのまま適用された権利として説明してはいけない。
この文書が示すのは、特定の時期、特定の商人集団、特定の関所に関係する免除である。
また、この免除から商人たちの利益額や輸送量を正確に計算することもできない。
13. 「大山崎油座」という名称はいつ使われたのか
大山崎の油商人は、中世の座を説明する際に「大山崎油座」として知られている。
しかし、歴史事典では、この名称が史料上に現れる時期について注意が必要だと説明されている。
『改訂新版 世界大百科事典』の解説では、「油座」という名称の史料上の初見を、天正10年(1582年)の羽柴秀吉関係文書としている。
これは、大山崎の油商人が1582年になって初めて活動を始めたという意味ではない。
油商人の活動自体は、鎌倉時代の文書などから確認できる。
重要なのは、後世によく使われる組織名と、当時の史料に書かれている名称を区別することである。
歴史記事では、便宜的に「大山崎油座」と呼ぶ場合でも、古い時期の商人たちが必ずその名称を使用していたと断定しないことが望ましい。
14. 座商人はどのように営業権を守ったのか
座商人にとって重要だったのは、自分たちが正当な営業権を持っていると示すことである。
そのため、権利を認める文書や、従来からの先例が重要な意味を持った。
しかし、営業権を主張する人々が増えれば、誰の権利を優先するのかという問題が生じる。
また、商業活動の拠点が変化した場合には、以前の権利を新しい場所でも認めるべきかという問題も起こり得た。
中世の営業権を、現在の行政が一律に発行する営業許可証と同じものとして理解することはできない。
寺社や公家などの本所、幕府、地域の政治勢力が関係し、権利の成立や承認の方法も異なっていた。
こうした仕組みを具体的に示すのが、戦国期京都の紺灰問屋に関する研究である。
15. 紺灰問屋とはどのような商人か
紺灰問屋は、京都で染色に関係する紺灰を取り扱った商人として知られる。
染色に関わる原料や商品を供給する商人には、特定の職人集団や地域との取引関係が重要だった。
谷本隆之「戦国期京都の座と権利」では、こうした紺灰問屋の営業権をめぐる変化が分析されている。
研究によれば、室町時代の京都では、紺屋の集住する地域と結びついた形で問屋が営業していた。
ところが、応仁の乱によって都市の状況が大きく変化し、以前の営業を支えていた地域的な条件が失われた。
その後、問屋たちは権利を示す文書を利用して、乱後の京都で営業を続けようとした。
つまり、紺灰問屋の権利は、単に商品を扱う技能だけでなく、取引先や地域との関係、文書による権利の証明と結びついていたのである。
16. 応仁の乱は商人の営業権をどう変えたのか
応仁の乱は、京都の都市空間に大きな被害を与えた。
この影響は建物の焼失だけに限らなかった。
商人が取引していた地域や職人の集住地が失われると、従来の営業関係も変化する。
谷本氏の研究では、紺灰問屋が乱前に持っていた特定地域との結びつきが、乱後には弱まったことが論じられている。
しかし、それまでの営業権が直ちに無意味になったわけではない。
乱前から伝わる文書や、売買などによって得られた証文が、権利を主張する根拠として利用された。
その結果、営業権が特定の場所から切り離され、文書を通じて移動・分割される状況が生まれたと説明される。
この変化は、商人たちに新たな可能性をもたらす一方、誰がどの権利を持つのかを不明確にする問題も生じさせた。
17. 補任状とは何か
補任状は、一定の職や地位への任命・承認を伝える文書である。
商業に関係する補任状では、問屋職などの地位が問題になる場合があった。
ただし、補任状を現在の営業許可証と完全に同じものとして理解してはいけない。
中世には、職と呼ばれる権利が、土地や職務、収益などと結びついていた場合がある。
その権利は、文書を通じて継承や売買の対象となることもあった。
重要なのは、補任状の発給者、対象となる職、承認される権利の範囲を確認することである。
商人が補任状を持っていたとしても、それだけで京都のすべての商品を販売する権利が認められたわけではない。
18. 1504年、紺灰問屋職への補任
谷本隆之氏の研究では、永正元年(1504年)に、京都の紺灰問屋たちが本所から問屋職に補任されたことが重要な転換点として説明されている。
この時点で注目されるのは、紺灰の営業に関係する人々が、権利を示す文書を通じて立場を明確にしようとしたことである。
応仁の乱後、従来の営業地域を基盤とした権利関係が変化していた。
そのため、誰が正当な問屋職を持つのかを確認することが重要になった。
しかし、1504年の補任をもって、紺灰問屋の座がすべて完成したと理解するのは正確ではない。
補任と、その後の座組織の形成は、別の段階として捉える必要がある。
19. 1517年、紺灰問屋の座が形成される
谷本氏の研究では、永正14年(1517年)に紺灰問屋たちが座組織を形成したことが論じられている。
この座の成立には、営業権をめぐる混乱を整理しようとする目的があった。
乱後の営業権は文書を通じて売買や質入れの対象となり、権利を主張する人々が増える可能性があった。
そこで、正当な営業権を持つ人々の範囲を組織として確認し、その扱いを規制する必要が生じた。
ここで重要なのは、座が必ずしも古い特権を守るだけの組織ではなかったことである。
戦国時代の新たな社会状況に対応するため、営業権を整理し、座が形成される場合もあった。
したがって、戦国時代を「すべての座が消滅していった時代」とだけ理解するのは適切ではない。
20. 座中法度とは何か
座中法度は、座の構成員や営業上の権利について、組織内で守るべき規則を定めたものとして知られる。
戦国期京都の紺灰問屋の研究では、座中法度が営業権の秩序を考える重要な材料となっている。
座の構成員をどのように扱うか。
営業権の移転や取引をどう管理するか。
権利をめぐる争いにどのように対応するか。
こうした問題を理解するうえで、座の内部規則は重要だった。
ただし、座中法度が存在することから、すべての座が同じ規則を持っていたと考えるべきではない。
また、現代の会社の就業規則や業界団体の定款をそのまま当てはめることも適切ではない。
座中法度は、当時の商人たちが、自分たちの営業を成り立たせるために権利関係を調整しようとしたことを示している。
21. 座の営業権は売買できたのか
戦国期の紺灰問屋の研究では、営業権が文書を通じて売買や質入れの対象となったことが重要な論点となっている。
これは、営業権が単に本人だけに認められた一時的な許可ではなかったことを示している。
ただし、どの座でも自由に営業権を売買できたわけではない。
権利の成立、譲渡の条件、本所との関係などは、個別の文書で確認する必要がある。
また、権利を売買したことと、その権利を現地で必ず行使できたことも同じではない。
複数の人々が異なる証文を示せば、権利をめぐる争いが起こる可能性があった。
紺灰問屋が座組織を形成した背景には、こうした権利の整理と管理があったと考えられている。
この事例は、座が商業特権を保護するだけでなく、権利をめぐる混乱への対応として成立する場合もあったことを示している。
22. 座商人と座に属さない商人
中世の商業活動には、座に属する人々だけでなく、座に属さない商人も存在した。
座に属さない商人がどの程度自由に営業できたかは、商品や地域の権利関係によって異なった。
座が強い営業権を主張する地域では、他の商人の参入が争いになる可能性があった。
一方、座による独占や制限が十分に及ばない取引も存在したと考えられる。
ここで注意したいのは、座商人が常に旧来の勢力で、座に属さない商人が常に新しい勢力だったという単純な対立ではないことである。
座そのものが新たに形成される場合もあり、既存の座商人が新しい営業形態へ対応することもあった。
商業の変化を理解するには、座への所属だけでなく、個々の営業権や市場の条件を確認する必要がある。
23. 座の権利をめぐる争い
座の営業権は利益につながるため、その範囲をめぐる争いが起こることがあった。
新しい商人が既存の市場へ入ろうとすれば、先に営業していた商人との対立が生じ得た。
また、複数の商人が同じ権利を主張する場合もあった。
さらに、本所の側が負担の徴収を求めても、実際の地域支配が弱まっていれば、その権利を維持することが難しくなる場合もあった。
こうした争いは、単に商人同士の競争だけではない。
寺社や公家の権威、幕府の文書、地域の武家による保護などが関係した。
座を理解するためには、営業特権という利益だけでなく、その権利を守るために必要だった政治的な関係にも目を向ける必要がある。
24. 戦国大名と座の関係
戦国時代には、各地の大名が市場や商業活動に介入した。
大名にとって、商人が領国内で活動することは、城下町の発展や物資の流通に関係していた。
そのため、従来の座の権利を認める場合もあれば、特定の市場でその権利を制限する場合もあった。
座に関係する商人が、大名の保護を求めることもあった。
つまり、戦国大名と座の関係は、常に大名が座を廃止するという一方向のものではなかった。
既存の権利をどのように取り扱うかは、地域ごとの政治状況に左右された。
また、商業を保護することと、領主が商業へ介入しないことは同義ではない。
大名は商人を誘致しながら、営業場所や通行、課役などについて規則を定めることもあった。
25. 楽市楽座によって座はなくなったのか
楽市楽座は、戦国時代の商業政策を考えるうえで重要な言葉である。
織田信長らが特定の市場や町で座の特権や諸役を扱う政策を進めたことはよく知られている。
しかし、楽座を全国のすべての座が同時に消滅した出来事として説明してはいけない。
楽市楽座の命令は、特定の地域や市場を対象として出された場合がある。
また、座そのものがすべての地域で直ちに活動を停止したわけではない。
近世まで続いた座も存在した。
さらに、楽市楽座が認められた市場であっても、商人の活動が完全に無規制となったわけではない。
大名による営業の保護と統制は併存し得た。
座の歴史を考える際は、座が持っていた営業権の内容と、それをどの政策が、どの地域で変更したのかを区別する必要がある。
26. 座と近世商業の変化
戦国時代から江戸時代にかけて、商業の組織や権利関係は変化した。
一部の座は従来の特権を失い、別の形で営業を続けるようになった。
一方、特定の職能や権利に関係する組織が近世まで存続する場合もあった。
そのため、中世の座がすべて消滅し、直ちに現代の自由市場が成立したと考えることはできない。
江戸時代にも商人の組織や営業上の制約が存在した。
ただし、近世の株仲間などを、中世の座と完全に同じ制度として扱うべきでもない。
両者には共通する特徴がある一方、成立の背景や権力との関係には違いがある。
座の歴史は、商人たちの組織が固定されたまま続いた歴史ではなく、政治権力や市場の変化に応じて、権利と負担が組み替えられた歴史でもあった。
27. 座・座役の年表
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 平安時代後期 | 商人・職人などの座が形成され始める |
| 1222年 | 大山崎神人の美濃国不破関関料免除に関係する文書 |
| 鎌倉〜室町時代 | 座の営業特権や本所との関係が各地で形成・変化 |
| 1467年以降 | 応仁の乱によって京都の商業地域や営業権の条件が変化 |
| 1504年 | 京都の紺灰問屋が本所から問屋職へ補任される |
| 1510年 | 紺灰間屋の旧来の課役と営業秩序に関する幕府文書 |
| 1517年 | 紺灰問屋の座組織形成が研究上指摘される |
| 16世紀後半 | 戦国大名による楽市・楽座などの商業政策が進む |
| 1582年 | 「油座」の名称が大山崎関係史料に現れると説明される |
| 江戸時代 | 一部の座や職能組織が存続し、商業制度が変化する |
この年表では、大山崎の油商人の活動と「油座」という名称の出現を区別している。
また、紺灰問屋の1504年の補任と1517年の座組織形成も別の出来事である。
28. よくある質問
Q1. 戦国時代の座とは何ですか?
商人や職人などが結成した同業者組織です。営業権の保護や本所との関係などが重要でした。
Q2. 座役とは何ですか?
座の構成員が本所などに対して負担した奉仕、現物、金銭などに関係するものです。
Q3. 座の本所とは何ですか?
座の権利を保護し、一定の奉仕や貢納を受ける立場にあった寺社・公家・官司などの権威や権利者を指します。
Q4. 座商人には独占権があったのですか?
特定の商品や市場で独占的・優先的な営業権を認められた例があります。ただし、すべての座が同じ権利を持ったわけではありません。
Q5. 座役は税金と同じですか?
現在の税制と同一ではありません。奉仕、物品の納入、金銭負担などを含み、座と本所の関係に応じて異なりました。
Q6. 大山崎の油商人は何を扱っていましたか?
荏胡麻油の仕入れ、製造、販売などに関わっていました。寺社への奉仕と営業特権が結びついていました。
Q7. 大山崎油座は鎌倉時代から存在したのですか?
大山崎の油商人の活動は鎌倉時代の文書で確認できます。ただし、「油座」という名称の史料上の初見とは区別が必要です。
Q8. 紺灰問屋の座はいつ成立しましたか?
谷本隆之氏の研究では、1504年の問屋職補任を経て、1517年に座組織が形成されたと説明されています。
Q9. 補任状とは何ですか?
一定の職や地位への任命・承認を記す文書です。中世の商業では営業権をめぐる重要な根拠となる場合がありました。
Q10. 楽市楽座で全国の座がなくなりましたか?
なくなったわけではありません。政策は地域や時期によって異なり、近世まで続いた座も存在しました。
29. まとめ
座は、中世の商人や職人などが形成した同業者組織である。
座の構成員は、寺社や公家などの本所との関係を通じて、一定の営業上の権利を得る場合があった。
その一方、座役として奉仕や現物、金銭などを負担していた。
大山崎の油商人は、こうした仕組みを具体的に示す重要な事例である。
1222年の関料免除文書は、商業活動と寺社への奉仕、交通上の権利の関係を考える手がかりとなる。
また、戦国期京都の紺灰問屋の研究は、座が古い特権を守るだけの組織ではなく、営業権を整理するために新しく形成される場合もあったことを示している。
1504年の問屋職補任と1517年の座組織形成は、その変化を理解するうえで重要である。
楽市楽座政策は、こうした座の権利関係に影響を与えたが、全国のすべての座が同時に消滅したわけではない。
座の歴史を知ることは、中世の商業が商品を売る人々だけで成り立っていたのではなく、寺社、公家、武家、地域の権利関係と深く結びついていたことを理解する手がかりになる。
30. 史料・参考文献
1. 文化庁「大山崎離宮八幡宮文書」文化遺産オンライン。
https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/134387
2. 文化庁「大山崎離宮八幡宮文書」国指定文化財等データベース。
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/9056
3. 谷本隆之「戦国期京都の座と権利」『史学雑誌』133編10号、2024年。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/133/10/133_1/_article/-char/ja/
4. 同論文PDF。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/133/10/133_1/_pdf
5. 山川出版社『山川 日本史小辞典 改訂新版』「座」。
https://www.historist.jp/word_j_sa/entry/033483/
6. 山川出版社『山川 日本史小辞典 改訂新版』「座役」。
https://www.historist.jp/word_j_sa/entry/033184/
7. 『改訂新版 世界大百科事典』「大山崎油座」。
https://kotobank.jp/word/大山崎油座-39656
8. 大山崎町「歴史に登場する大山崎を紐解く」。
https://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/annai/kikakuzaisei/kannkou/machinoshokai/history/922.html
9. CiNii Research「戦国期京都の座と権利」。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390305953578950784
研究・史料上の注意:
谷本論文で提示される営業権の変容や座成立の解釈は、研究上の分析結果として扱う。『大山崎離宮八幡宮文書』の原本全点、および紺灰問屋関係の個別古文書全文を網羅的に逐語照合したわけではない。

