戦国時代の合戦を地図で見ていると、ひとつの疑問が浮かびます。

戦国時代の軍勢は、一日に何kmくらい進めたのでしょうか。

現代なら自動車で数時間の距離でも、戦国時代は基本的に徒歩と馬です。

しかも軍勢には、

  • 武将
  • 徒歩の兵
  • 騎馬武者
  • 足軽
  • 荷駄
  • 人夫
  • 馬
  • 武器
  • 兵糧

が伴います。

一人の旅人が歩くのと、数千人の軍勢が隊列を組んで移動するのでは条件がまったく違います。

よく、

「戦国時代の軍勢は一日20km」

「30kmくらいが普通」

「秀吉は中国大返しで一日40km以上進んだ」

などの数字が語られます。

しかし、戦国時代の全軍勢に当てはまる全国共通の「一日○km」という公式はありません。

行軍速度は、

  • 人数
  • 道路
  • 地形
  • 天候
  • 荷物
  • 馬
  • 渡河
  • 敵の存在
  • 宿営地
  • 兵糧
  • 強行軍か通常行軍か

によって大きく変わります。

重要なのは、単純な速度ではありません。

軍勢全体が、戦える状態を維持したまま何km進めるか。

これが戦国時代の行軍を考える本当のポイントです。

Article 103では石高から何人の兵を動員できたかを考え、Article 104ではその兵を維持する兵站を扱いました。

Article 105では、その兵力と兵站を実際に「移動」させる問題を考えます。

まず結論|戦国時代の軍勢は一日何km進んだのか

最初に結論から言えば、

戦国時代の軍勢について「通常は必ず一日○km」と決めることはできません。

条件によって移動距離が大幅に変わるからです。

同じ軍勢でも、

平坦な街道を移動する日

と、

雨の山道を進む日

ではまったく違います。

また、

500人の部隊

と、

2万人を超える大軍

でも条件が異なります。

数字を使って考えること自体は有効ですが、

1日20kmだから100kmは5日

と機械的に計算するのは危険です。

戦国時代の軍勢では、

  • 集合
  • 隊列形成
  • 休憩
  • 食事
  • 渡河
  • 荷駄整理
  • 宿営準備
  • 警戒

などにも時間がかかります。

行軍とは単に人が歩くことではなく、

軍事組織全体を一つの場所から別の場所へ移す作戦

なのです。

なぜ「一日○km」と固定できないのか

一日の行軍距離を決める要素は非常に多くあります。

たとえば、

地形

平地なら進みやすく、急な山道では遅くなります。

道路状態

広い道と狭い山道では隊列の進み方が違います。

天候

雨が降れば地面がぬかるみます。

軍勢規模

人数が増えるほど隊列が長くなります。

荷駄

兵糧や武器を運ぶ荷駄隊が遅れれば、本隊も無関係ではいられません。

敵情

安全な自領内と敵地では、警戒の度合いが違います。

強行軍

緊急時なら休息を減らして急ぐこともできます。

つまり「歩く速さ」だけでは行軍速度を説明できません。

一人の旅人と軍勢はまったく違う

行軍距離を考えるとき、よく比較対象になるのが昔の旅人です。

確かに徒歩旅行の記録は、人間が一日にどのくらい移動できるかを考える参考になります。

しかし、

旅人の一日歩行距離=軍勢の一日行軍距離

ではありません。

旅人なら、自分の荷物を持って自分のペースで歩けます。

数人の仲間なら、多少歩く速度が違っても調整できます。

一方、数千人の軍勢では、

  • 先頭
  • 本隊
  • 後続部隊
  • 荷駄
  • 人夫

がすべて移動しなければなりません。

途中で兵士が疲れたからといって、各自が好きな宿へ泊まることもできません。

軍としてまとまって行動する必要があります。

近世の旅人はどれくらい歩いたのか

比較材料として興味深い研究があります。

19世紀に江戸およびその周辺から伊勢参宮へ向かった庶民の旅日記などを分析した研究では、

一日の平均歩行距離は約34.4km

とされています。

一日の歩行時間はおよそ10時間。

最長では約50kmを歩いた日も確認されています。

ただし、この数字には大きな注意点があります。

これは戦国時代ではなく19世紀の近世後期です。

徳川幕府のもとで主要街道や宿場制度が整備され、長距離旅行を支える環境も発達した時代です。

しかも対象は旅行者であり、数千人の軍勢ではありません。

したがって、

江戸時代の旅人が平均34kmだから、戦国軍も一日34km進めた

とするのは適切ではありません。

この研究から分かるのは、

条件の整った徒歩旅行なら、現代人が想像する以上の距離を一日に歩くことが可能だった

という程度に考えるべきです。

軍勢が大きいほど遅くなる理由

軍勢の人数が増えるほど、単純な徒歩速度とは違う問題が発生します。

100人なら短い隊列でも、1万人になれば長大な列になります。

先頭が進み始めても、最後尾が同時に動けるとは限りません。

狭い道なら、

一列
二列
数列

に分かれて進むしかありません。

橋や峠ではさらに隊列が圧縮されます。

このため、大軍では、

先頭部隊の移動距離

と

軍勢全体の移動完了

を分けて考える必要があります。

総大将が次の宿営地に着いたからといって、荷駄隊まで全て到着しているとは限りません。

先頭が出発しても最後尾はまだ動いていない

現代の高速道路でも、大量の車が一つの出口へ集中すれば渋滞します。

戦国軍でも似た問題があります。

狭い道へ大量の兵が集中すれば、一度に通過できません。

たとえば大軍が城を出発するとします。

先鋒が朝早く出発。

その後、

  • 本隊
  • 各家臣団
  • 荷駄
  • 後衛

が順番に続きます。

最後尾が出発するときには、先頭がかなり先へ進んでいる可能性があります。

つまり軍勢の移動時間は、

一人がA地点からB地点まで歩く時間

ではなく、

全部隊がA地点を出て、必要な部隊がB地点へ収容されるまでの時間

で考える必要があります。

行軍縦列とは何か

軍勢が道路を移動するとき、横一列で何千人も歩けるわけではありません。

道路幅に応じて縦方向に長い隊列になります。

これが行軍縦列です。

軍勢には、

  • 先行偵察
  • 先鋒
  • 主力
  • 総大将
  • 各家臣団
  • 荷駄
  • 後衛

などが並びます。

実際の編成は軍によって異なりますが、大軍ほど縦列は長くなります。

仮に一人あたりの前後間隔を小さく見積もっても、数千人が一列に並べば非常に長くなります。

実際には、

  • 馬
  • 荷物
  • 部隊間隔
  • 旗
  • 荷駄

もあります。

そのため行軍距離を考えるときには、

兵数だけでなく縦列長

を見る必要があります。

戦国倶楽部の「行軍縦列」ツールは、この問題を数字で考えるためのものです。

足軽の徒歩速度だけでは計算できない

軍勢の多くは徒歩で移動します。

そのため、

人間の歩行速度×行動時間

で行軍距離を出したくなります。

しかしこれは理論上の最大移動距離に近い計算です。

実際には、

  • 休憩
  • 食事
  • 集合
  • 点呼
  • 道路混雑
  • 荷駄待ち
  • 渡河
  • 敵情確認

などがあります。

また兵士は普通の旅行者ではありません。

武器や装備を持っています。

翌日には戦闘する可能性もあります。

目的地へ着いた時点で全員が疲労困憊していては困ります。

つまり行軍では、

今日どこまで行けるか

だけでなく、

明日戦える状態を維持できるか

も重要です。

騎馬武者がいても軍全体は速くならない

戦国時代というと騎馬武者の印象が強いため、

「馬に乗ればもっと速いのでは?」

と思うかもしれません。

確かに個人・少人数なら馬によって迅速に移動できます。

伝令や偵察には大きな利点があります。

しかし軍勢全体には徒歩兵と荷駄があります。

総大将だけ先へ行っても軍隊は成立しません。

騎馬武者も、

  • 馬を休ませる
  • 飼料を確保する
  • 水を与える

必要があります。

したがって、

騎馬武者の速度=軍勢全体の行軍速度

ではありません。

荷駄が行軍速度を左右する

Article 104で扱った荷駄は、行軍速度にも直接関係します。

軍勢が運ぶのは、

  • 兵糧
  • 武器
  • 弾薬
  • 陣道具
  • 衣類

などです。

兵士だけが先に進み、荷駄が何日も遅れれば補給できません。

したがって長距離行軍では、荷駄を含めた部隊全体が動ける速度が重要です。

特に、

  • 山道
  • 泥道
  • 急坂
  • 狭路

では荷駄馬や大量の荷物が移動速度を制限します。

軍事行動において「一番速い者」ではなく、

必要な物資を含む軍全体がどれだけ速く移動できるか

が問題になります。

山道・峠越えでは速度が落ちる

日本は山が多い国です。

戦国軍は平坦な街道だけを進んだわけではありません。

国境には山地が多く、

  • 峠
  • 狭い谷
  • 急坂

を越える必要があります。

山道では横に広がれないため縦列が長くなります。

荷駄馬も進みにくくなります。

さらに敵が峠や狭路を押さえていれば、戦闘を警戒しながら進む必要があります。

地図上の直線距離が短くても、実際の行程が難しければ時間はかかります。

そのため、

城Aと城Bの直線距離が20kmだから一日で行ける

という判断は危険です。

雨・ぬかるみ・積雪の影響

戦国時代の道は現代の舗装道路ではありません。

雨が降れば、

  • 泥
  • 水たまり
  • 増水

によって移動が難しくなります。

荷物を積んだ馬はぬかるみに弱くなります。

坂道では滑りやすくなります。

川も増水します。

冬季の山間部なら雪も問題になります。

つまり同じ道でも、季節と天候によって行軍速度は大きく変化します。

歴史上の軍事行動を「距離÷一定速度」で計算すると、こうした要素がすべて消えてしまいます。

川を渡るだけでも大仕事

地図上では小さく見える川でも、大軍にとっては障害になります。

橋があれば便利ですが、敵が破壊する可能性もあります。

橋がなければ、

  • 徒渉
  • 舟
  • 仮設橋

などを使う必要があります。

一人が渡るだけなら簡単でも、数千人と荷駄を渡すには時間がかかります。

水量が増えていれば危険も増します。

馬・荷物・武器を濡らさず安全に通すことも考えなければなりません。

そのため渡河点を確保することは、戦略上重要でした。

街道・橋・渡河点が重要だった理由

戦国大名が街道、峠、橋、渡河点を重視したのは、単に人が行き来する場所だったからではありません。

それらは、

軍勢と物資が通る場所

だからです。

重要街道を押さえれば、

  • 自軍を移動させる
  • 補給を送る
  • 敵軍の移動を監視する
  • 敵の補給を遮断する

ことができます。

Article 104で説明した兵站路と、行軍路は重なります。

軍勢が通れる場所には、兵糧も通らなければなりません。

宿営地を確保しなければならない

軍勢は一日歩いて終わりではありません。

翌日も行動します。

そのため夜には、

  • 休息
  • 食事
  • 馬の管理
  • 警戒
  • 負傷者対応

が必要です。

数千人が泊まる場所を確保するのは簡単ではありません。

水も必要です。

食料も必要です。

地形的に防御しやすい場所も望まれます。

つまり、

まだ歩けるからあと10km進もう

という判断だけでは決められません。

適切な宿営地がどこにあるかも、一日の行軍距離を左右します。

通常行軍と強行軍の違い

軍勢はいつも同じ速度で進むわけではありません。

通常の移動なら、翌日の行動を考えながら進みます。

しかし緊急時には、

強行軍

が必要になることがあります。

強行軍では、

  • 休憩を減らす
  • 夜間も移動する
  • 荷物を減らす
  • 先行部隊を急がせる

などによって移動を速めることが可能です。

その代わり、

  • 疲労
  • 落伍
  • 隊列崩壊
  • 馬の消耗
  • 荷駄遅延

などの代償が生じます。

強行軍を一度成功させたからといって、その速度を毎日の通常行軍へ適用することはできません。

中国大返しはなぜ特別なのか

日本史上もっとも有名な高速移動の一つが、羽柴秀吉の「中国大返し」です。

天正10年(1582)、秀吉は備中高松城を攻めている最中に本能寺の変を知り、毛利氏と和睦した後、畿内へ急速に戻りました。

その後、山崎の戦いで明智光秀を破ります。

この行動が「中国大返し」と呼ばれます。

高速移動の象徴として知られ、

約200kmを短期間で移動した

という説明がよく見られます。

しかし、現在の研究では経路・情報伝達・書状・各日の位置について細かな再検討が行われています。

服部英雄氏の研究も、

  • 本能寺の変の情報伝達
  • 高松城
  • 沼城
  • 姫路城

という行程を史料から検討しています。

つまり「伝説的な超人的行軍」とだけ捉えるのではなく、実際の情報・経路・部隊移動を確認する必要があります。

「中国大返し=全軍が200kmを全力疾走」ではない

中国大返しを現代のマラソンのように考えるのは適切ではありません。

大軍には複数の部隊があります。

情報を持って先行する者もいます。

総大将周辺が先に移動することも考えられます。

荷駄や後続部隊が同時に同じ速度で進んだとは限りません。

さらに、秀吉軍は高松城攻め以前から山陽方面で軍事活動を続けていました。

どこに補給拠点があり、どの道を通り、どこで兵を休ませたのかも重要です。

中国大返しの驚異的な点は、

ただ速く歩いたことではなく、軍勢を急速に方向転換させ、決戦可能な兵力を畿内へ移したこと

にあります。

徳川家康の伊賀越え

本能寺の変の直後には、もう一つ有名な移動があります。

徳川家康の伊賀越えです。

家康は当時、畿内に滞在していました。

本能寺の変によって織田信長が死亡すると、家康一行は危険な状況に置かれます。

そこで伊賀方面を通り、本国へ帰還しました。

ただし伊賀市の資料でも、

日数やルートには諸説があり、詳細は定まっていない

とされています。

これは歴史上の行軍・移動を考えるうえで重要な注意点です。

後世の有名なルート図が、そのまま確定した史実とは限りません。

家康の伊賀越えは大軍の通常行軍というより、緊急避難に近い特殊な移動です。

これを「戦国軍の平均行軍速度」の基準にすることも適切ではありません。

情報伝達は軍勢より速く動ける

戦国時代には飛脚・使者・早馬などによる情報伝達があります。

少人数の使者なら、大軍より速く移動できます。

この違いは戦略上非常に重要です。

敵の接近を知らせる情報は先に届きます。

その情報を受けた大名が兵を集め、軍勢として移動を始めます。

つまり、

情報
↓
命令
↓
集合
↓
出発
↓
行軍

という時間差があります。

「知らせが一日で届いた」からといって、「軍勢も一日で同じ距離を移動できる」わけではありません。

中国大返しについても、本能寺の変の情報がどのように伝わったのか自体が研究対象です。

大軍の行軍速度を決めるのは誰か

軍隊は最も速い兵士に合わせて移動できません。

必要な戦力を保ったまま進む必要があります。

そのため実質的には、

  • 徒歩兵
  • 荷駄
  • 道路状況
  • 隊列
  • 障害物

などが全体の速度を決めます。

特に荷駄が不可欠な長距離遠征では、

補給部隊を置き去りにして高速移動することには限界があります。

一時的な強行軍では先行部隊だけ急ぐことができても、それを長期間続けることは難しくなります。

兵糧と行軍速度

行軍速度と兵糧は密接に関係します。

速く進めば目的地へ早く着きます。

その分、途中で消費する食料を減らせる可能性があります。

しかし急ぎすぎれば疲労します。

逆に大量の兵糧を持てば長期間行動できますが、荷物が増えます。

荷物が増えれば、

  • 荷駄馬
  • 人夫

が増え、隊列も長くなります。

つまり、

兵糧を増やすと行動可能期間は伸びるが、輸送負担が増える

という関係があります。

Article 104で扱った兵站問題が、ここで行軍速度と直結します。

行軍が速すぎると何が起きるか

速ければ速いほど良いわけではありません。

強行軍を続ければ、

  • 疲労
  • 足の故障
  • 病人
  • 落伍
  • 荷駄の遅れ
  • 馬の消耗

が発生します。

目的地へ到着した直後に戦闘するなら、疲労は重大な問題です。

敵より先に到着しても、兵士が戦えなければ意味がありません。

行軍速度は、

移動だけの最速記録

ではなく、

戦闘可能状態を残した移動

として考える必要があります。

敵地ではさらに遅くなる

自領内なら街道や地理を把握し、地域住民から情報を得やすいでしょう。

しかし敵地では状況が違います。

  • 待ち伏せ
  • 道路封鎖
  • 橋の破壊
  • 補給拠点の焼却
  • 敵軍の接近

を警戒しなければなりません。

偵察も必要です。

先鋒が安全確認をしながら進む必要があります。

軍勢を細長く伸ばしすぎれば、途中を攻撃される危険があります。

そのため敵地では、物理的に歩ける速度より戦術上の安全が優先されることがあります。

行軍速度から戦国大名の戦略を見る

行軍速度を考えると、戦国大名の戦略がより立体的に見えます。

たとえば敵が100km先にいるとして、

「4日で着く」

と単純に計算するのではなく、

  • どの道を通るか
  • どの城を経由するか
  • 川はあるか
  • 荷駄は通れるか
  • 敵が途中にいるか
  • どこで泊まるか
  • 兵糧は足りるか

を考える必要があります。

だからこそ、

  • 街道
  • 城
  • 港
  • 渡河点
  • 峠

が戦略上重要になります。

地図上の距離だけでは、戦国時代の軍事行動は理解できません。

戦国倶楽部の行軍ツールで考える

戦国倶楽部では、軍勢の移動を数字で考えるためのツールを公開しています。

特に関連するのが、

  • 行軍兵站
  • 行軍縦列
  • 兵站輸送
  • 兵力・兵糧

です。

たとえば、

兵力5,000人

と

兵力20,000人

では、同じ道路を同じ速度で移動できるとは限りません。

人数が増えれば縦列も伸びます。

兵糧も増えます。

荷駄も増えます。

そのため行軍を考える際は、

距離÷徒歩速度

だけではなく、

距離
+
兵力
+
隊列
+
荷駄
+
地形
+
兵站

を合わせて考えることが重要です。

Article 103、104、105を組み合わせると、

1. 何人動員できるか
2. 何日養えるか
3. 何日で目的地へ着けるか

という一連の戦国軍事シミュレーションができます。

よくある誤解

誤解1|戦国軍は一日20kmだった

全国共通の固定値ではありません。

軍勢規模、道、地形、天候などによって変化します。

誤解2|昔の人は毎日40kmくらい歩けたから軍勢も同じ

近世後期の旅人には長距離を歩いた記録がありますが、軍勢には荷駄や隊列があります。

旅行者と大軍を同一条件で比較できません。

誤解3|騎馬隊なら一日100km進めた

少人数の騎馬移動と、徒歩兵・荷駄を含む軍勢全体は別です。

馬にも休息・水・飼料が必要です。

誤解4|中国大返しでは全軍が同時に同じ速度で走った

部隊構成や先行・後続を考える必要があります。

現在も情報伝達・経路・行程について研究があります。

誤解5|直線距離を日数で割れば行軍速度が分かる

実際の道は山・川・峠を避けたり越えたりします。

当時の経路も現代道路とは違います。

誤解6|行軍速度は兵士の歩行能力だけで決まる

荷駄、道路、隊列、宿営、敵情などが大きく影響します。

誤解7|強行軍できるなら毎日その速度で進める

強行軍には疲労・落伍・補給遅延などの代償があります。

例外的な高速移動を通常値にしてはいけません。

まとめ

戦国時代の軍勢が一日に何km進めたのか。

この疑問に、一つの固定値で答えることはできません。

人間そのものは、条件がよければかなり長い距離を歩くことができます。

近世後期の伊勢参宮旅行を分析した研究では、一日の平均約34.4kmという数字も確認されています。

しかし戦国軍は旅行者ではありません。

軍勢には、

  • 徒歩兵
  • 騎馬
  • 荷駄
  • 人夫
  • 武器
  • 兵糧

が伴います。

人数が増えるほど隊列は長くなります。

山道や川では通過に時間がかかります。

宿営地も必要です。

敵地では警戒もしなければなりません。

中国大返しのような高速移動は確かに存在しました。

しかし、それをすべての戦国軍の通常行軍速度として扱うことはできません。

戦国時代の行軍を理解するうえで重要なのは、

最速の兵士が何km歩けるかではなく、軍勢全体を戦える状態のまま何km移動させられるか

です。

Article 103の動員兵力。

Article 104の兵站。

そしてArticle 105の行軍。

この三つを組み合わせると、戦国大名の軍事力を「兵数」だけではなく、実際に動かせる組織として理解できるようになります。

参考資料

  1. 近世後期の庶民の旅にみる歩行の実際
    ―江戸及び江戸近郊地の庶民による伊勢参宮の旅を中心として―
    19世紀の旅人について平均約34.4km/日、約10時間/日などを分析。
    国立国会図書館書誌ID:
    8760811
  2. 服部英雄
    「ほらの達人 秀吉・『中国大返し』考」
    九州大学学術情報リポジトリ。
    本能寺の変の情報伝達、高松城から沼城を経て姫路への行軍等を検討。
  3. 『羽柴秀長と豊臣政権―秀吉を支えた弟の生涯』
    中国大返し前後の羽柴軍・秀長の動向を扱う。
  4. 伊賀市
    「本能寺の変以降の伊賀」
    徳川家康の伊賀越えについて、日数・ルートには諸説があり詳細は定まっていないとする。
  5. 備中国高松水攻之図 解説資料
    天正10年3月、羽柴秀吉が姫路を発し、4月4日に岡山へ着陣した経過等を記載。

FAQ

戦国時代の軍勢は一日に何km歩きましたか?

全国共通の固定値はありません。軍勢規模、道、地形、天候、荷駄、敵情などによって大きく変わります。

昔の人は一日30km以上歩けたのですか?

近世後期の伊勢参宮旅行を研究した例では、一日平均約34.4kmという結果があります。ただし、街道整備が進んだ19世紀の旅行者の数字であり、戦国軍の平均値ではありません。

中国大返しは何km進んだのですか?

一般には非常に長距離の急速移動として知られますが、経路・各日の位置・情報伝達について研究上の検討があります。現代道路距離を一つの確定値として扱うより、史料に基づいて経路を見る必要があります。

中国大返しでは全軍が走ったのですか?

そのように単純化するのは適切ではありません。大軍には先行・後続・荷駄などがあり、全員が同じ速度で同時に移動したとは限りません。

騎馬武者は徒歩兵より速かったのですか?

個人や少人数なら馬を利用した迅速な移動が可能ですが、軍勢全体には徒歩兵や荷駄が含まれます。騎馬武者の速度がそのまま全軍の速度にはなりません。

大軍ほど行軍は遅くなりますか?

一般に大軍では縦列が長くなり、狭い道・橋・峠などの通過に時間がかかります。また必要な荷駄・兵糧も増えるため、移動管理は難しくなります。

強行軍とは何ですか?

通常より休息を削り、急いで長距離を移動する行軍です。迅速に移動できる反面、疲労・落伍・馬の消耗などの負担があります。

伊賀越えは何日かかりましたか?

徳川家康の伊賀越えは有名ですが、伊賀市も日数や経路には諸説があり、詳細は定まっていないとしています。一つのルートや日数だけを確定史実として扱うべきではありません。

行軍で最も遅いのは荷駄ですか?

荷駄は速度を制約する重要要素ですが、地形、道路、渡河、軍勢規模、敵情なども関係するため、常に荷駄だけが原因とは限りません。

戦国軍は夜も行軍しましたか?

緊急時や強行軍では夜間移動が行われる可能性がありますが、それを通常行軍の標準とすることはできません。