この記事で分かること
天正9年(1581)、羽柴秀吉は因幡国の鳥取城を攻めました。
鳥取城は久松山の急峻な地形に築かれた名城です。
鳥取市公式は、織田信長が「名城」と評価したと紹介しています。
そんな城を秀吉は正面から力攻めしませんでした。
城を囲み、食料を断つ。
いわゆる「鳥取の渇え殺し」として知られる兵糧攻めです。
なぜこの作戦が成立したのでしょうか。
まず結論――秀吉は「城壁を攻略する」のではなく「城の食料供給システム」を攻略した
強い山城を正面攻撃すれば、多くの兵を失います。
しかしどれほど高い山城でも、食料、水、武器、人員が必要です。
補給路を完全に断てば、城壁が無傷でも守備側は戦えなくなります。
鳥取城攻めは、建物の防御力ではなく兵站を狙った攻城戦でした。
鳥取城とはどんな城なのか
鳥取城は現在の鳥取市、久松山に築かれています。
鳥取市公式によれば、山陰海岸ジオパークの地形を活かした急峻な山城です。
山頂から周囲を見渡せ、防御性に優れます。
なぜ正面攻撃しなかったのか
急斜面を登って攻めれば、守備側が有利です。
攻撃側は疲れる。 隊列が乱れる。 狭い道で兵数を使えない。
秀吉が大軍を持っていても、山道では数的優位が小さくなります。
毛利氏との中国戦線
鳥取城攻めは、秀吉による中国地方攻略の一部です。
背後には毛利氏との大規模戦争があります。
鳥取城を落とせば、因幡方面の毛利勢力に大きな打撃を与えられます。
吉川経家
鳥取城の守将として有名なのが吉川経家です。
毛利方から派遣され、城を守りました。
本人にとって鳥取は本来の領地ではありません。
それでも城兵とともに籠城し、最終的に自らの命と引き換えに城兵を助ける道を選んだ人物として知られます。
兵糧攻めの前に必要なこと
「囲めば食料がなくなる」だけではありません。
攻撃側にも準備が必要です。
周辺道路を押さえる。 海路を監視する。 援軍を防ぐ。 自軍の食料を確保する。 長期滞在できる陣地を作る。
包囲側の方が先に食料不足になれば失敗です。
太閤ヶ平
鳥取城跡には、秀吉側の本陣跡とされる太閤ヶ平が残っています。
鳥取市公式は、鳥取城跡と太閤ヶ平を一体で国指定史跡として案内しています。
山城だけでなく、攻撃側の包囲陣まで現地で確認できるのが大きな特徴です。
包囲戦の本質
包囲側は、城から出てくる敵だけでなく、外から入ろうとする援軍、商人、食料運搬、情報伝達も止めなければなりません。
つまり大きな物流封鎖です。
城内人口が多いほど不利になる
籠城側に兵が多いことは、防御には有利です。
しかし食料消費も増えます。
さらに周辺住民が城内へ避難すれば、食料はさらに減ります。
守る人数が多いことが、そのまま弱点になる場合があります。
食料価格を上げたという逸話
鳥取城兵糧攻めでは、秀吉側が事前に周辺の米を高値で買い集め、城内に備蓄される食料を減らしたという有名な話があります。
非常に合理的な兵站戦術です。
ただし細かな価格・数量には後世の軍記的要素もあるため、数字を断定しすぎない方がよいでしょう。
なぜ毛利軍は救援できなかったのか
毛利氏は中国地方の大勢力です。
しかし秀吉軍が鳥取周辺を厳重に包囲し、援軍ルートを押さえれば救援は難しくなります。
一つの城を助けるために大軍で決戦すれば、毛利側も大きなリスクを負います。
正面攻撃より時間を使う
兵糧攻めは時間がかかります。
しかし秀吉側が十分な物資を持ち、長く滞在できるなら有効です。
攻撃側は戦闘損害を減らし、守備側だけが徐々に消耗していきます。
飢餓の実態
鳥取城攻めは「渇え殺し」という非常に強い言葉で語られます。
軍記には凄惨な飢餓描写もあります。
しかし歴史記事では、残酷な逸話を刺激的に再現するより、「補給遮断によって城内の食料状況が極端に悪化した」という軍事的事実を中心に見るべきです。
吉川経家の降伏
最終的に吉川経家は降伏。
自らが責任を負うことで城兵の助命を求めたと伝わります。
秀吉にとっても、守将を討ち、城を確保できれば全員を殺す必要はありません。
戦後統治を考えれば、城兵を生かして地域を安定させる方が合理的な場合もあります。
鳥取城攻めが秀吉に与えた経験
翌1582年、秀吉は備中高松城で水攻めを行います。
鳥取では兵糧を断つ。
高松では地形を変えて水で孤立させる。
どちらも城壁への正面攻撃ではありません。
秀吉の中国攻めでは、兵站と土木が非常に重要だったことが分かります。
兵糧攻めの成功条件
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 包囲 | 城外との連絡を遮断 |
| 自軍補給 | 攻撃側が長期滞在可能 |
| 援軍阻止 | 毛利方の救援を防ぐ |
| 地理 | 山城からの脱出路を限定 |
| 時間 | 守備側の食料を消耗させる |
戦国倶楽部的分析――兵糧攻めは「毎ターン資源を0に近づける」
ゲームでは攻城戦というと城HPを削るイメージがあります。
兵糧攻めは違います。
兵士のHPを直接削らない。
代わりに、食料という毎ターン必要な資源を補給不能にする作戦です。
守備側は時間そのものを敵に回されます。
よくある疑問
Q. 鳥取城は難攻不落だったのですか
急峻な地形を持つ強い城でした。そのため正面攻撃より兵糧攻めが選ばれました。
Q. 本当に城内は飢餓状態になったのですか
兵糧不足が深刻化したことは兵糧攻めの核心ですが、軍記の極端な描写は慎重に扱う必要があります。
Q. 吉川経家はなぜ自害したのですか
城兵を助命する降伏条件の中で責任を負った人物として伝わります。
まとめ
鳥取城の兵糧攻めは、秀吉が残酷だったからだけでは理解できません。
強い山城へ正面攻撃する代わりに、周囲を囲む、補給を断つ、援軍を止める、自軍だけは補給する、という兵站戦を行いました。
鳥取城攻略は、城の防御施設ではなく、城を生かしている物流システムを破壊した戦いだったのです。
参考情報
- 鳥取市「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」
- 鳥取市文化財課 鳥取城関連資料

