あしな もりおき
1547-1575 享年29歳。
陸奥会津を領した蘆名盛氏の長男。
1561年に家督を継ぎ、父・盛氏の後見を受けながら領国経営に乗り出す。
1563年須賀川の二階堂氏を攻め、1565年にはこれを降して、当時五歳であった二階堂盛隆を人質とした。
盛氏の方針に従い、伊達晴宗の娘を正室に迎えている。
二階堂氏、二本松の畠山氏、白河の小峰結城氏、三春の田村氏など南陸奥の大部分を勢力下に起き、蘆名氏の最盛期を迎えた。
蘆名氏の直轄領は、会津一円、安積郡、岩瀬郡西部、越後蒲原郡小川庄にまで及んだ。
伊達氏をも凌駕した領国経営を成したが、父に先立って、急逝した。
酒害が原因と伝わる。