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五徳姫の婚姻:織田信長の娘としての政略結婚
五徳姫(1559年~?)は、織田信長の娘であり、1570年(元亀元年)に徳川家康の嫡男である松平信康に嫁ぎました。この結婚は、戦国時代の政略結婚の典型例であり、信長と家康の同盟を強化するためのものでした。しかし、最終的には夫・信康が切腹するという悲劇的な結末を迎えます。本章では、五徳姫の結婚に至る背景、婚姻生活、そしてその後の運命について詳しく解説します。
1. 五徳姫の家系と婚姻の背景
五徳姫は、織田信長の娘として生まれました。母については諸説ありますが、側室の一人と考えられています。彼女の婚姻は、徳川家康との軍事同盟(清洲同盟)を強固にするための政略結婚でした。
1-1. 五徳姫の家系(織田家)
役職 | 名前 | 関係 | 特記事項 |
---|---|---|---|
祖父 | 織田信秀 | 織田家当主 | 織田信長の父 |
父 | 織田信長 | 織田家当主 | 戦国時代を代表する武将 |
母 | 側室(不詳) | 五徳姫の母 | 正室・濃姫の子ではない |
織田信長は、徳川家康と1559年に「清洲同盟」を結びました。この同盟は、今川義元に対抗するためのものであり、以後、織田家と徳川家は基本的に協力関係を築きました。
1-2. 清洲同盟と五徳姫の婚姻
年 | 出来事 | 関係 |
---|---|---|
1559年 | 清洲同盟締結 | 織田信長と徳川家康が同盟 |
1560年 | 桶狭間の戦い | 織田信長が今川義元を討ち取る |
1562年 | 家康が今川氏から独立 | 同盟関係が強化される |
1570年 | 五徳姫と松平信康が婚姻 | 清洲同盟をさらに強固にするため |
このように、五徳姫の婚姻は政治的な背景が大きく、両家の結びつきをより強固にするために行われたものでした。
2. 松平信康との結婚生活
2-1. 松平信康とは?
松平信康(1559年~1579年)は、徳川家康の嫡男であり、幼名を竹千代といいました。幼いころから織田信長の娘である五徳姫との婚姻が決められ、1570年に正式に結婚します。
名前 | 生年 | 関係 | 特記事項 |
---|---|---|---|
松平信康 | 1559年 | 徳川家康の嫡男 | 岡崎城主 |
五徳姫 | 1559年 | 織田信長の娘 | 信康の正室 |
二人は1570年に結婚し、岡崎城で夫婦生活を送りました。婚姻後、信康との間には二人の娘をもうけたとされます。
3. 五徳姫と築山殿の確執
結婚当初は問題がなかったものの、次第に五徳姫と信康の母・築山殿(瀬名姫)との関係が悪化したと伝えられています。
3-1. 築山殿との対立
築山殿は今川家の影響を受けた女性であり、五徳姫は織田家の人間であったため、家中の政治的立場が異なっていました。さらに、五徳姫は「織田家の娘」というプライドもあり、家康の正室であった築山殿とは折り合いが悪かったと考えられます。
また、五徳姫が信康に築山殿の悪口を吹き込んだとも言われ、家中の不和を招いたとする説もあります。
3-2. 織田信長への密告
五徳姫は、夫・信康とその母・築山殿が武田勝頼と内通していると信長に密告したと言われています。これが事実かどうかは議論の余地がありますが、結果として信長は家康に信康の処断を要求することになります。
4. 信康の切腹と五徳姫の運命
4-1. 松平信康の死
1579年、織田信長の命令を受けた徳川家康は、やむを得ず嫡男・信康を切腹させる決断をしました。
年 | 出来事 | 備考 |
---|---|---|
1579年 | 信康、二俣城に幽閉 | 家康の命令で幽閉 |
1579年 | 信康、切腹 | 信長の意向が影響 |
この事件は家康にとっても大きな痛手であり、彼はこの決断を後々まで悔やんだと伝えられています。
4-2. 五徳姫のその後
信康の死後、五徳姫は離縁され、織田家へ戻されたとされています。その後の詳しい記録は少なく、再婚したという記録もありません。一説には、信長の死後(1582年の本能寺の変)に出家したとも言われています。
5. 五徳姫の歴史的意義
五徳姫の生涯は、戦国時代の女性の悲劇的な運命を象徴するものです。彼女の婚姻は政治的なものであり、彼女自身の意思とは無関係に結婚させられ、その後の政争によって夫を失うことになりました。
また、彼女の密告が信康事件の引き金になったとも言われ、戦国時代の政略結婚がいかに女性にとって厳しいものであったかを示しています。
まとめ
- 五徳姫は織田信長の娘で、1570年に徳川家康の嫡男・松平信康に嫁ぐ
- 結婚生活の中で、義母・築山殿と対立
- 信康の武田氏との内通を信長に密告したとされる
- 1579年、信康は信長の命令で切腹
- 五徳姫は織田家に戻され、その後の消息は不明
五徳姫の人生は、戦国時代の政略結婚と女性の苦難を象徴するものといえるでしょう。