村上義清(むらかみ よしきよ、1501年? ~1573年?)は、戦国時代の武将であり、信濃国(現在の長野県)の戦国大名です。彼は信濃村上氏の当主として、武田信玄と激しく対立し、2度にわたり武田軍を撃退した名将として知られています。しかし、最終的には武田氏の侵攻によって本領を失い、上杉謙信のもとで再起を図るも、戦国の波に翻弄されました。本章では、村上義清の生涯を詳しく解説していきます。
目次
1. 村上義清の家系と出自
1-1. 村上氏の系譜
村上義清は、清和源氏の流れをくむ名門・村上氏の出身です。村上氏は、鎌倉時代から信濃国に勢力を持ち、室町時代には守護代(国人領主)として信濃国を支配していました。
家名 | 出自 | 特徴 |
---|---|---|
村上氏 | 清和源氏(村上源氏) | 鎌倉・室町時代に信濃国を統治 |
村上流 | 村上義光が祖 | 信濃守護代として発展 |
村上氏は、同じく信濃の有力大名である小笠原氏や高梨氏、須田氏などと対立しながら勢力を維持していました。
1-2. 村上義清の幼少期
村上義清は、1501年頃に村上顕国(むらかみ あきくに)の子として生まれたとされています。彼の幼少期についてはあまり記録が残っていませんが、戦国時代の武将らしく、幼い頃から武芸や戦術を学び、家督相続の準備を進めていたと考えられます。
年 | 出来事 |
---|---|
1501年? | 村上義清 誕生 |
1530年頃 | 村上顕国が死去し、義清が家督を継ぐ |
村上義清は、家督を継いだ後、信濃国の東部を中心に勢力を拡大していきました。
2. 村上義清と武田信玄の戦い
村上義清の名を歴史に残した最大の出来事は、武田信玄との戦いです。彼は、信濃侵攻を進める武田軍を2度にわたり撃退し、戦国時代屈指の名将として名を馳せました。
2-1. 武田信玄との対立の背景
戦国時代、甲斐(山梨県)の武田信玄は、信濃国への侵攻を開始しました。これに対し、村上義清は信濃の国人衆をまとめて抵抗し、武田軍との戦いに突入します。
年 | 出来事 | 村上義清の対応 |
---|---|---|
1541年 | 武田信玄、信濃侵攻を開始 | 村上義清は反武田勢力を結集 |
1542年 | 塩尻峠の戦い | 武田軍が勝利、小笠原氏が敗退 |
1546年 | 武田軍が村上氏の領地に侵攻 | 村上軍が迎撃 |
村上義清は、信濃の国人たちと協力しながら、武田信玄の侵攻に対抗しました。
2-2. 上田原の戦い(1548年)
1548年、村上義清と武田信玄は**上田原(現在の長野県上田市)**で激突しました。この戦いは、武田信玄の生涯において唯一、大敗を喫した戦いとして知られています。
戦い | 年 | 結果 | 村上義清の動き |
---|---|---|---|
上田原の戦い | 1548年 | 村上軍の勝利 | 武田軍の大将・板垣信方を討ち取る |
(1) 村上義清の戦術
✅ 武田軍の進軍ルートを把握し、伏兵を配置
✅ 正面からの迎撃だけでなく、側面攻撃を駆使して武田軍を崩壊させる
✅ 武田軍の重臣・板垣信方を討ち取ることで士気を低下させる
この戦いで村上軍は、武田軍を撃退し、戦国大名としての名声を高めました。
2-3. 砥石城の戦い(1550年)
1548年の敗戦後、武田信玄は再び村上氏の領地に侵攻しました。1550年、武田軍は**村上義清の本拠地・砥石城(といしじょう)**を攻撃しました。
戦い | 年 | 結果 | 村上義清の動き |
---|---|---|---|
砥石城の戦い | 1550年 | 村上軍の勝利 | 武田軍の猛攻を防ぐ |
✅ 砥石城は堅牢な山城であり、武田軍の攻撃を耐え抜いた
✅ 城兵が奮戦し、武田軍に大打撃を与えた
この戦いも、村上義清が戦国時代屈指の名将であることを示した戦いの一つです。
3. 村上義清の敗北と上杉謙信への亡命
3-1. 武田信玄の反撃
1551年以降、武田信玄は村上氏に対し本格的な侵攻を開始しました。
年 | 出来事 |
---|---|
1553年 | 武田軍が砥石城を攻略 |
1554年 | 村上義清、本領を失う |
村上義清は、ついに武田信玄に敗れ、本領を捨てて越後国(新潟県)の上杉謙信を頼ることになります。
3-2. 上杉謙信のもとでの活動
村上義清は、越後国へ逃れた後、上杉謙信のもとで再起を図ります。彼は謙信の軍勢に加わり、**川中島の戦い(1553年~1564年)**などで武田軍と戦いました。
✅ 上杉軍の重臣として、武田信玄との戦いを続けた
✅ 上杉軍の支援を受けて信濃奪還を目指すも、果たせなかった
村上義清は、その後も上杉家のもとで活動を続けましたが、1573年頃に死去したと考えられています。
4. まとめ
✅ 村上義清は、戦国時代の信濃の大名として、武田信玄と対抗した名将
✅ 上田原の戦いと砥石城の戦いで武田軍を撃退し、一時は信玄を追い詰めた
✅ 最終的には信玄に敗れ、上杉謙信のもとへ亡命した
✅ 上杉軍の一員として武田氏と戦い続け、1573年頃に死去
彼の生涯は、戦国時代の武士の気概を象徴するものといえます。