戦国時代(15世紀後半~16世紀)において、車輪を用いた荷車(牛車や大八車など)は存在していたものの、民衆に広く普及していたとは言えません。 その理由はいくつかあります。

1. 道路事情の問題

  • 日本の道は舗装されておらず、悪路が多かった。
    → 雨が降るとぬかるみ、山道では車輪が使いにくい。
  • 坂道や山道が多く、荷車より人力や獣力の方が適していた。
    → 特に山間部では駄賃(馬や牛による運搬)が一般的。

2. 交通・輸送手段の主流

輸送手段特徴
人力(歩荷・天秤棒)軽量な荷物を運ぶのに適していた。
馬・牛(駄賃付け)山道でも安定して荷物を運べた。
船(川・海上輸送)重い荷物は河川や海上輸送の方が効率的。
荷車(車輪あり)平坦な道では有効だが、都市部や特定の地域に限定。

3. 車輪付き荷車の使用状況

  • 牛車(ぎっしゃ)
    → 貴族や寺社で使用されたが、戦国時代にはほぼ廃れる。
  • 大八車(だいはちぐるま)
    → 江戸時代以降に普及し、戦国時代には一般的ではなかった。
  • 兵站(へいたん)としての荷車
    → 戦国大名の軍勢では、荷車が一部用いられた例もあるが、主流ではなかった。

4. 結論

戦国時代の日本では、車輪付きの荷車は一部の都市や平坦な地域では使われていたものの、全国的には普及していなかったと考えられます。主な理由は、道の整備不足と、駄賃や人力の方が実用的だったことです。