原 昌俊
はら まさとし
1500?-1549
享年50?歳。

名称:国房、加賀守、胤元

■”鬼美濃”で知られる下総系・原
虎胤とは別系の甲斐系原家。
武田信虎・信玄の二代に渡って
、陣馬奉行を務めた老臣。

■昌俊の勤める陣馬奉行は、戦場
の地形判断、部隊の配備、本
陣の防備等の判断をする参謀
的職務を負っていた。

■参謀的な役目を負っていたため
、戦線に出て戦うことはほとん
どなく、戦線の後方で合戦全般
の戦況を監視し、適切な軍移動
や指示を出した。

■目立つ戦功はほとんど挙げてい
ないものの昌俊は”昌俊の前に
昌俊なし、昌俊の後に昌俊なし
”と称されたほど、武田家臣団
一の軍指揮官であった。

■1549年、躑躅ヶ崎館で軍議が開
かれると、その席に列した昌俊
は白熱する議論の中、突如倒
れ、卒中のためその日のうちに
没した。

武田家躍進の時期に名指揮官
が没したことは武田家にとって
大きな痛手となったが、昌俊の
子・昌胤がその跡目を継ぐと
父と同じ陣馬奉行に就き、父の
名を汚すことなく立派にその大
任を果たした。