対馬(つしま)とは? 歴史的な重要性とその役割

対馬は、日本と朝鮮半島の間に位置する島で、歴史的に日本と朝鮮・中国との外交・貿易・防衛の要所として極めて重要な役割を果たしてきました。古代から近代にかけて、交易の拠点、国防の最前線、そして外交交渉の場として機能し、対馬を統治する宗氏(そうし)がその中心的な役割を担いました。


1. 古代の対馬:倭国と大陸の架け橋

1)魏志倭人伝と古代日本

  • 3世紀の中国の歴史書『魏志倭人伝』によると、対馬は「倭国(日本)の一部」として登場し、中国と倭国の交易拠点とされました。
  • 当時の対馬は、海上交通の要衝として機能し、朝鮮半島や中国との交易を行っていました。

2)古代国家の形成と防衛

  • 飛鳥・奈良時代(7〜8世紀)になると、日本の律令国家の一部となり、防衛拠点としての性格が強まりました。
  • 対馬守(つしまのかみ)という官職が設置され、朝鮮半島からの外敵(高句麗・新羅など)に備えました。
  • 対馬には防人(さきもり)が配置され、遣唐使などの航路の要衝として重要視されました。

2. 中世の対馬:貿易・外交と倭寇の拠点

1)鎌倉・室町時代の交易と宗氏の台頭

  • 鎌倉時代(1185〜1333年)には、地元の豪族宗氏(そうし)が勢力を拡大し、対馬を支配。
  • 室町時代(1336〜1573年)に入ると、対馬は日朝貿易の中心地として発展し、朝鮮(李氏朝鮮)との外交窓口となりました。
  • しかし、同時に倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団の拠点ともなり、朝鮮半島や中国沿岸を襲撃する勢力も存在しました。

2)倭寇と朝鮮の関係

  • 14世紀になると、対馬の武士や商人が倭寇として活動することもありました。
  • 1419年には、朝鮮軍が対馬を攻撃する「応永の外寇(おうえいのがいこう)」が発生。
  • 宗氏は朝鮮と交渉を重ね、倭寇の抑制と引き換えに、日朝貿易の正式な窓口としての地位を確立しました。

3. 戦国時代・江戸時代:日朝関係の仲介者としての対馬

1)豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)

  • 1592年、豊臣秀吉が朝鮮に侵攻(文禄・慶長の役)。
  • 対馬の宗氏は、朝鮮との関係を維持しつつ、戦争にも関与する立場に置かれました。
  • しかし、戦後は再び日朝貿易の仲介役に戻り、朝鮮との関係を修復。

2)江戸時代:朝鮮通信使の受け入れ

  • 江戸時代に入ると、幕府は鎖国政策を敷きましたが、対馬だけは朝鮮との外交窓口として正式に認められる
  • 宗氏は、1609年に「己酉約条(きゆうやくじょう)」を結び、朝鮮との交易を独占。
  • 朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)の使節団が江戸幕府に派遣される際、対馬はその受け入れ拠点となり、外交の仲介を務めました。

4. 近代の対馬:国防の最前線へ

1)幕末:ロシアの南下と対馬

  • 19世紀になると、ロシアがアジアへの進出を強め、対馬にも影響を及ぼしました。
  • 1861年、ロシアの軍艦が対馬を占拠する事件(対馬占領事件)が発生。
  • 幕府とイギリスの介入によりロシアは撤退するが、対馬が日本の国防上の要衝であることが再認識される

2)明治時代以降:日本の領土として

  • 1871年の廃藩置県により、宗氏の対馬支配は終了し、対馬は長崎県の一部となる。
  • 日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)では、対馬は日本海戦の重要拠点となり、日本の海上防衛の要となった。

5. 現在の対馬:歴史遺産と国境の島

1)国防と海上安全保障

  • 現在も、対馬は日本と韓国の中間に位置する戦略的拠点
  • 日本の海上自衛隊が駐留し、防衛と海洋監視の要となっている。

2)観光と文化交流

  • 日韓関係の歴史を学べる史跡が多く存在
    • 宗氏の居城・金石城(かねいしじょう)
    • 朝鮮通信使の記念碑
    • 倭寇の遺跡
  • 韓国からの観光客が多く訪れ、文化交流も活発。

6. 対馬の歴史的意義

1)日本と朝鮮半島の架け橋

  • 対馬は、古代から近代にかけて、日本と朝鮮・中国との外交・貿易の中心地だった。

2)国防の最前線

  • 中世には倭寇の拠点として、近世には朝鮮通信使の受け入れ地として、近代以降はロシアや韓国との国防の要所として機能した。

3)宗氏による外交

  • 宗氏は日本と朝鮮の関係を調整し、戦争を回避する重要な役割を果たした。

7. まとめ

対馬は、古代から現代にかけて「交易の拠点」「外交の窓口」「国防の要衝」として、日本史において極めて重要な役割を果たしてきた島である。
戦国時代から江戸時代にかけては、宗氏が日朝関係を調整し、近代以降はロシアや韓国との国防の最前線となった。
現在も、対馬は国際的な意義を持つ日本の重要な島であり、その歴史は日本と東アジアの関係を理解する上で欠かせない要素となっている。