甲相駿三国同盟が正式に締結されたのは永禄3年(1560年)以前とされますが、この時点での武田信玄(たけだ しんげん)・北条氏康(ほうじょう うじやす)・今川義元(いまがわ よしもと)の状況を詳しく見ていきます。
目次
1. 武田信玄(1521年~1573年)享年53歳
基本情報
項目 | 内容 |
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本名 | 武田晴信(たけだ はるのぶ) |
生誕 | 大永元年(1521年) |
居城 | 甲府・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた) |
官位 | 甲斐守、甲斐国守護 |
家族 | 父:武田信虎、子:武田義信、武田勝頼 |
死去 | 元亀4年(1573年) |
当時の状況
- 父・武田信虎を追放し、甲斐国を支配
- 天文10年(1541年)、父・武田信虎を駿河の今川氏へ追放し、家督を継ぐ。
- 信濃侵攻を進める
- 村上義清や小笠原氏を攻略し、信濃の制圧を進める。
- 三国同盟を締結
- 領土安定のため、北条・今川と手を組む。
→ 信玄は甲斐と信濃を基盤に勢力を拡大していたが、越後の上杉謙信との対立が続いていた。
2. 北条氏康(1515年~1571年)享年57歳
基本情報
項目 | 内容 |
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本名 | 北条氏康(ほうじょう うじやす) |
生誕 | 永正12年(1515年) |
居城 | 小田原城 |
官位 | 相模守 |
家族 | 父:北条氏綱、子:北条氏政、北条氏照、北条氏規、北条氏邦 |
死去 | 元亀2年(1571年) |
当時の状況
- 相模国の安定化
- 天文15年(1546年)、河越夜戦で上杉憲政・足利晴氏の連合軍を破る。
- 関東での影響力拡大
- 上杉謙信と関東支配をめぐり争う。
- 三国同盟を締結
- 武田・今川と手を組み、関東の覇権を狙う。
→ 北条氏康は関東制覇を進め、上杉謙信との対立を抱えていた。
3. 今川義元(1519年~1560年)享年42歳
基本情報
項目 | 内容 |
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本名 | 今川義元(いまがわ よしもと) |
生誕 | 永正16年(1519年) |
居城 | 駿府城 |
官位 | 左京大夫、駿河国守護 |
家族 | 父:今川氏親、子:今川氏真 |
死去 | 永禄3年(1560年)※桶狭間の戦い |
当時の状況
- 駿河・遠江・三河を支配
- 織田信長の尾張進出を警戒し、勢力拡大を目指す。
- 桶狭間の戦い(1560年)
- 上洛を目指して尾張に進軍するが、織田信長に討たれる。
→ 義元は織田信長に敗れ、今川家の没落が始まる。
4. まとめ
大名 | 本拠地 | 当時の状況 |
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武田信玄 | 甲府(甲斐国) | 信濃侵攻を進め、上杉謙信と対立 |
北条氏康 | 小田原(相模国) | 関東支配を固め、上杉謙信と争う |
今川義元 | 駿府(駿河国) | 尾張侵攻を進めるが、桶狭間で討たれる |
甲相駿三国同盟は、この三人が勢力を維持するために結んだ戦略的同盟でしたが、今川義元の死によって破綻し、その後の戦国時代の勢力図を大きく変える要因となりました。