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彦根城の歴史:詳細解説
彦根城(ひこねじょう)は、滋賀県彦根市に位置する江戸時代の名城であり、西国の防衛の要として極めて重要な役割を果たしました。現在では国宝に指定され、日本の歴史・文化の象徴の一つとして広く知られています。ここでは、彦根城の歴史を以下の流れで詳しく解説します。
1. 彦根城築城の背景
1-1. 関ヶ原の戦いと井伊直政の功績
彦根城の築城は、1600年の関ヶ原の戦い後に始まります。この戦いで東軍(徳川家康側)が勝利し、戦功のあった武将たちは新たな領地を与えられました。
武将名 | 戦功 | 領地の変遷 |
---|---|---|
井伊直政 | 徳川家康の側近として奮戦 | 近江佐和山18万石から彦根へ移封 |
石田三成 | 西軍の中心人物 | 関ヶ原の敗戦後、佐和山城で討伐 |
特に徳川家康に仕えた井伊直政(いい なおまさ)は、家康の四天王の一人として関ヶ原の戦いで活躍し、戦後に佐和山18万石を与えられました。しかし、佐和山城(石田三成の居城)は防御に難があり、より堅固な城を築くために新城建設が計画されました。これが彦根城の始まりです。
2. 彦根城の築城

2-1. 城の設計と築城開始
彦根城の築城は1603年(慶長8年)に開始され、1622年(元和8年)に完成しました。工事の指揮を執ったのは、井伊直政の子である井伊直継(なおつぐ)と井伊直孝(なおたか)です。
築城期間 | 築城主 | 主な普請奉行 | 特徴 |
---|---|---|---|
1603年~1622年 | 井伊直継・井伊直孝 | 複数の大名が普請 | 各地の城の資材を活用 |
2-2. 他城の資材を活用
築城にあたり、廃城となった城の資材を再利用したことが特徴です。例えば、大津城や佐和山城などの建築資材が転用されました。これにより、工期の短縮とコスト削減が図られました。
資材の供給元 | 彦根城内での利用箇所 |
---|---|
佐和山城 | 天守・石垣 |
大津城 | 櫓・門 |
長浜城 | 天守の一部 |
3. 江戸時代の彦根城と井伊家
3-1. 井伊家の治世と幕府の西国防衛
彦根藩は、譜代大名の筆頭である井伊家によって治められました。井伊家は幕府内で重要な役割を担い、特に大老職を務めた井伊直弼(なおすけ)が有名です。
井伊家の主な当主 | 在職期間 | 主な功績 |
---|---|---|
井伊直政 | 1590-1602 | 徳川家康の家臣、関ヶ原の戦いで活躍 |
井伊直孝 | 1622-1659 | 彦根城の完成、幕府の要職を歴任 |
井伊直弼 | 1850-1860 | 開国政策(安政の大獄)を主導 |
彦根藩は、西国大名の監視と防衛の役割を担い、江戸幕府の安定に貢献しました。
3-2. 城下町の整備
彦根城の完成に伴い、城下町が整備されました。城の南側には町人地が形成され、商業や流通の中心として発展しました。
城下町の区分 | 特徴 |
---|---|
武家地 | 藩士の住居、城の防衛線 |
町人地 | 商業地、彦根藩の経済基盤 |
寺社地 | 神社仏閣が集中、文化の中心 |
4. 明治維新と彦根城
4-1. 廃城令と彦根城の存続
明治維新後の1873年(明治6年)には、全国的に廃城令が発布されました。多くの城が取り壊されましたが、彦根城は一部が残されました。その背景には、明治天皇の訪問が関係しています。
時期 | 出来事 |
---|---|
1873年 | 廃城令が発布される |
1878年 | 明治天皇が彦根城を訪問し、保存が決定 |
1890年 | 一部修復が行われる |
彦根城の天守や一部の櫓・門は、廃城を免れ、今日まで残ることとなりました。
5. 現代の彦根城

5-1. 国宝指定と観光地としての発展
彦根城は、1952年(昭和27年)に国宝に指定され、現在では日本を代表する歴史的建造物として観光名所となっています。
年 | 出来事 |
---|---|
1931年 | 重要文化財に指定 |
1952年 | 国宝指定 |
1993年 | 世界遺産暫定リスト入り |
2006年 | 日本100名城に選定 |
5-2. ひこにゃんと観光振興

2007年には、彦根城築城400年祭を記念して誕生したキャラクター「ひこにゃん」が話題となり、観光客の増加に貢献しました。
6. まとめ
彦根城は、江戸幕府の西国防衛の拠点として築かれ、井伊家によって維持・発展しました。明治維新後も保存が進められ、現在では国宝として多くの人々に親しまれています。
このように、彦根城は単なる城ではなく、日本の歴史・政治・文化を象徴する重要な存在であり、その歴史を知ることで江戸時代の日本の成り立ちを深く理解することができます。
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