ほうじょう うじかつ
1559-1611
享年53歳。
名称:左衛門大夫
居城:相模玉縄城
■北条氏繁の子。
祖父に北条家の中興に活躍した北条
綱成がいる。北条氏舜の実弟。
■1578年、玉縄城主であった父・氏繁が
没すると1582年頃に氏勝が家督を
継ぐ。
■北条氏政に従い、1581年の戸倉城攻
めなどで武功を上げた。
■1590年、豊臣秀吉による小田原征伐
が敢行されると氏勝は、北条家重臣・
松田康長とともに伊豆箱根の山中城
を守備したが豊臣軍7万に攻められ、
氏勝率いる4000の将兵は、抵抗空しく
敗退し、山中城はほどなく陥落した。
主君・氏政は氏勝ら敗将を小田原城
に入ることを勧告したが面目を失った
氏勝はそれを断り、剃髪して居城の
玉縄城に入った。
その後、氏政に敵への内通を疑われ、
その弁明に窮した氏勝は、徳川家康の
家臣・本多忠勝ら豊臣方の武将に熱心
な降伏勧告に応じて、降伏。
城を開城して敵に投降した。
■その後、後北条氏は滅亡し、氏勝はそ
の生き残りとなる。
徳川家康の関東入国に際して、氏勝は
召し抱えられ、下総佐倉(岩富)に1万
石を拝領した。
1611年、徳川政権内で活躍の場を見
出した氏勝は没した。
享年53歳。
氏勝の子孫は、徳川譜代に列したが、
養子・繁広が急死し、保科家から氏重
が養子に入った。
しかし、これも1658年に嗣子がないま
ま没し、後北条家の血脈は断絶するに
至った。
北条 氏勝
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