はが やすただ
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■垪和氏続の子。
  松山衆に属し、相模国中郡沼部郷、上州の地など1100貫余を領し、北条家中の大身であった。

■評定衆の一人に列し、軍役130人を有した。
  康忠は小田原城の奉者を務め、越後の上杉氏との越相同盟の際に遠山康光とともにその交渉にあたった。

  また、甲斐武田氏との甲相同盟の交渉にもあたるなど、北条家の外交戦術実行を担った。

■1582年以降は、上野の地を守備し、厩橋城代を勤め、康忠は越後の上杉氏の抑えとした。