やぎゅう むねよし
1527-1606
享年80歳。
通称:新介、新左衛門、石舟斎、但馬守
柳生家厳の長男。柳生新陰流の開祖。
若年にして戦国武将として立身出世することを諦め、剣術と兵法の大家とならんと欲す。
1563年、奈良宝蔵院にて、新陰流の上泉信綱と運命的な出会いを成し、その奥義に魅了された。熱心に修業に励み、信綱から「一国一人の印可」の印可状を授けられ、剣術の達人としての道を歩む。
1593年、剃髪して、入道石舟斎と称し、上泉新陰流から脱却して、新たに柳生新陰流を生み出す。
1594年、柳生の隠田を太閤検地にて発覚してしまうと、その領土を没収されてしまう。柳生家は経済的に逼迫困窮するも、徳川家康にその剣術指南、兵法家としての才覚を認められ、柳生家は再び興隆を成した。