蠣崎 季広 かきざき すえひろ
1507~1595
享年89歳。
父:蠣崎義広
幼名:卯鶴丸、彦太郎
別名:若狭守
居城:蝦夷館山城
蠣崎(松前)氏は甲斐武田氏と同流。
始まりは武田国信の養子信広である。
1451年(宝徳三年)、若狭から関東足利へと向かい、さらに1457年(長禄元年)には蝦夷へと赴き、蝦夷の戦いにて勝利を収め、花沢館主蠣崎季繁の娘婿となり、蠣崎姓を名乗った。
蠣崎氏三代目義広の嫡男季広は1545年(天文十四年)に四代目当主を継いだ。
アイヌの首長と親交を深め、領内統治の強化に努めた。
アイヌとの和睦に尽力した檜山安東氏と連携し、安東氏当主の舜季(きよすえ)から一字を賜り、季広と称したとされる。
安東氏傘下の位置付けにあった蠣崎氏であった。季広は勢力拡大を謀るべく、十三人の娘を諸大名へ輿入れさせた。
1582年(天正十年)季広は、家督を三男の慶広に譲り、隠遁政治を敷く。
豊臣秀吉が天下取りに動くと松前氏もその直臣となる。