つゆひめ
1552?~1588 享年37?歳
別称:彦姫(ひこひめ)
伊達晴宗の四女として生まれる。母は、久保姫。
兄に岩城親隆、伊達輝宗らがいる。
会津の雄・蘆名家の若き当主・蘆名盛興に嫁ぐ。
1575年、盛興が29歳の若さで没すと、伊達家の支援もあって、
二階堂盛隆を蘆名家の次期当主として迎え入れ、蘆名家の名蹟を継がせることとなる。
露姫は、盛隆に再嫁し、嫡子・亀王丸と
三女(小杉山御台(蘆名義広室)、岩城御台(佐竹義宣室)、江戸崎御前(相馬利胤室))をもうける。
1584年、蘆名盛隆が小姓に暗殺されると、家督は生後1ヶ月の亀王丸が継いだ。
露姫は兄・伊達輝宗の後見を受けて、蘆名家中をまとめることになる。
その後、輝宗は、次男の伊達小次郎に蘆名家を継がせる意向を見せた。
輝宗から伊達家当主を受けた伊達政宗は、父の蘆名家方針を継承し、蘆名家との同盟関係を
破棄し、蘆名家を攻めた。(関柴合戦)
1586年、亀王丸は、3歳で疱瘡により死去。蘆名家の命運は暗転した。
蘆名家当主の座をめぐり、伊達政宗の弟・小次郎と佐竹義重の次男・義広との間で、争乱が起こる。
1587年、蘆名家は、佐竹義重の次男・義広を露姫と盛興との間にもうけた長女・小杉山御台の婿に迎えた。
だが、義広がまだ13歳と幼少であったため、蘆名家中の掌握がならなかった。
1588年、露姫は病にて早世した。
1589年、伊達政宗により、蘆名家の居城・黒川城が落ち、蘆名家は没落した。