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戦国時代における落城とは?
戦国時代において「城が落ちる(落城)」とは、攻城戦の結果として城が敵に奪われることを指します。落城後の処理は戦の状況や城主の対応、攻め手の方針によって大きく異なりましたが、一般的には以下のような流れがありました。
1. 落城のパターンとその後の処遇

落城にはいくつかのパターンがあり、それによって城内の人々の運命が決まりました。
(1) 和睦による開城(降伏)
城主が事前に交渉し、条件付きで降伏する場合。
処遇の特徴:
- 城主や家臣の命が助かる可能性が高い。
- 城主や武将は「客将」として迎えられることもある。
- 城兵は助命されるが、武装解除が求められる。
- 城主の家族は人質(誓約の証)となることが多い。
実例:
- 小田原征伐(1590年)
- 北条氏政・氏直は豊臣秀吉に降伏し、北条氏直は助命されたが、氏政は切腹を命じられた。
- 鳥取城の戦い(1581年)
- 城主・吉川経家は羽柴秀吉に降伏し、家臣の助命を条件に自害した。
(2) 総攻撃による制圧

敵の大軍による攻撃で城が陥落した場合。
処遇の特徴:
- 城主や有力武将は捕縛・処刑されることが多い。
- 城兵や住民は殺害されることもある。
- 戦功として敵の武将に恩賞が与えられる。
- 場合によっては略奪・焼き討ちが行われる。

実例:
- 備中高松城の戦い(1582年)
- 城主・清水宗治は降伏し、切腹することで家臣の命を助けた。
- 安土城の焼失(1582年)
- 本能寺の変の後、明智光秀の攻撃によって織田信長の安土城が略奪され焼け落ちた。
(3) 籠城戦での餓死・全滅

長期間の包囲によって食糧が尽き、城内の兵士・住民が餓死するケース。
処遇の特徴:
- 最後まで戦った場合、城主以下全滅する可能性が高い。
- 生き延びた場合も、厳しい処罰が待っている。
- 城兵が飢餓状態になり、人肉食に及ぶ例もあった。
実例:
- 鳥取城の飢え殺し(1581年)
- 羽柴秀吉による兵糧攻めで、城内では餓死者が続出。ついに城主・吉川経家は降伏し、自害。
- 三木城の戦い(1578~1580年)
- 別所長治が籠城戦を続けたが、最終的に降伏して切腹。
(4) 城主の裏切り・寝返り

城主や重臣が敵側に寝返ることで城が無血開城する場合。
処遇の特徴:
- 城主・武将は新たな主君の家臣として迎えられる。
- 城内の兵や住民は被害を受けることが少ない。
実例:
- 山中城(1590年)
- 北条家の城であったが、城兵の士気が低く、豊臣軍の猛攻で短期間で落城。
- 大坂の陣(1614~1615年)
- 大坂城内の武将の一部が徳川家康側に寝返り、豊臣方の崩壊を早めた。
2. 落城後の処理
落城後、城主・家臣・城兵・住民の処遇は、攻め手の方針や戦局によって異なりました。
(1) 城主の運命
城主の処遇は以下のように分かれる。
- 戦死・討ち死に:戦場で討たれる。
- 切腹:武士としての名誉を保つため、降伏の条件として自害する例が多い。
- 斬首:敵方に捕まり、見せしめとして処刑されることもある。
- 助命・降伏:優秀な武将であれば、敵将の家臣として召し抱えられることもある。
例:
- 織田信長に反抗した松永久秀(1577年)→織田軍に攻め立てられ、天守閣を自ら爆破させ、爆死する。
- 北条氏直(1590年)→豊臣秀吉に降伏し、助命され高野山へ追放。
(2) 家臣や城兵の処遇
- 助命される(条件付き降伏の場合)
- 処刑される(徹底抗戦した場合)
- 浪人として流浪する(戦国時代後期では、戦敗者は浪人となることが多かった)
例:
- 関ヶ原の戦い後、西軍の武将たちは多くが処刑されたが、一部は徳川家康の家臣として召し抱えられた。
(3) 一般の城下町の住民
城の周囲に住んでいた町民・農民も、落城によって大きな影響を受けた。
- 城下町の焼き討ち
- 住民の略奪・殺害
- 新たな支配者による統治
- 身代金目的で捕虜にされる
例:
- 大坂の役(1615年)では、大坂城の落城とともに城下町も焼き払われ、多くの住民が殺害された。
3. 落城後の城の運命
(1) 破壊・廃城
- 戦略的に不要な城は破壊されることが多かった。
- 例:鳥取城、安土城
(2) 修復・改修
- 新たな主によって城が再建されることもあった。
- 例:小田原城は徳川家康が改修。
4. まとめ
戦国時代において、落城は単なる戦の終結ではなく、城主・家臣・住民の運命を大きく左右する重大な出来事でした。
降伏すれば命は助かる可能性があったが、徹底抗戦すると多くが死亡。
城が消えることもあれば、新たな支配者によって再建されることもあった。
戦国時代は常にこのような「勝者と敗者」が繰り返される時代であり、落城はその象徴的な出来事だったのです。




















