
目次
姫路城の歴史
1. 姫路城の起源
姫路城の歴史は、室町時代にさかのぼります。現在のような大規模な城郭が築かれる前、姫路城は小規模な砦として存在していました。
時期 | 出来事 |
---|---|
1333年(元弘3年) | 赤松則村が砦を築く(姫山城) |
1346年(貞和2年) | 赤松貞範が本格的な城郭を建設 |
1441年(嘉吉の乱) | 赤松氏の没落、城の支配者が交代 |
1580年(天正8年) | 豊臣秀吉が三層の天守を築く |
1601年(慶長6年) | 池田輝政が姫路城の大改修を開始 |
姫路城は、赤松氏の築城に始まり、戦国時代には城の規模が拡大されていきました。
2. 豊臣秀吉の改修(1580年)

戦国時代になると、播磨国(現在の兵庫県)は戦国武将たちの争奪の場となります。その中で、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)は、織田信長の命により播磨を平定しました。
武将名 | 関係 | 主な出来事 |
---|---|---|
織田信長 | 豊臣秀吉の主君 | 1576年、播磨の攻略を命じる |
豊臣秀吉 | 姫路城主 | 1580年、三層の天守を建設 |
黒田官兵衛 | 秀吉の軍師 | 姫路城の築城に助言 |
秀吉は、姫路城を拠点に中国地方へ進出し、最終的に毛利氏と和睦しました。その後、城の重要性が高まり、三層の天守が築かれました。
3. 池田輝政による大改修(1601年~1609年)

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、幕府を開くと、池田輝政が播磨52万石を与えられ、姫路城の大改修を行いました。
築城者 | 改修の特徴 |
---|---|
池田輝政 | 五重の大天守を建設 |
本多忠政 | 二の丸・西の丸を整備 |
松平忠明 | 城の維持管理を担当 |
現在の姫路城の姿は、池田輝政による改修によって完成しました。この時点で、日本最大級の城郭へと進化しています。
4. 江戸時代の姫路城

姫路城は、江戸幕府の西国支配の要として機能しました。城主は頻繁に交代しましたが、常に幕府の信頼が厚い譜代大名が配置されました。
城主の名前 | 在任期間 | 主な功績 |
---|---|---|
池田輝政 | 1600年-1613年 | 姫路城の拡張 |
本多忠政 | 1617年-1631年 | 西の丸の整備 |
松平忠明 | 1639年-1644年 | 城の修復と維持 |
榊原政岑 | 1741年-1749年 | 城の改修と財政改革 |
姫路城は、西国大名を監視する拠点として機能し、特に外様大名(毛利氏や島津氏)への抑えとなりました。
5. 明治維新と廃城令(1873年)

明治維新後、多くの城は廃城となりましたが、姫路城は奇跡的に残りました。
年 | 出来事 |
---|---|
1871年(明治4年) | 廃藩置県により、姫路藩が廃止される |
1873年(明治6年) | 廃城令により、城の建物の多くが取り壊される |
1879年(明治12年) | 姫路城が陸軍省の管轄となり、保存が決定 |
1912年(明治45年) | 修復工事が開始される |
姫路城は、幸運にも陸軍の駐屯地として利用され、完全な破壊を免れました。
6. 戦後の復興と世界遺産登録

第二次世界大戦中、姫路城は爆撃を受けましたが、大きな被害はありませんでした。その後、大規模な修復が行われました。
年 | 出来事 |
---|---|
1956年(昭和31年) | 大天守の修復工事が開始される |
1993年(平成5年) | ユネスコ世界文化遺産に登録 |
2015年(平成27年) | 「平成の大修理」が完了 |
世界遺産登録後、姫路城は日本を代表する文化遺産となりました。
7. まとめ
姫路城の歴史は、室町時代の砦から始まり、戦国時代に豊臣秀吉の城として成長し、江戸時代に西国の抑えとして機能したという流れです。
- 1333年:赤松氏による築城
- 1580年:豊臣秀吉が三層の天守を建設
- 1601年~1609年:池田輝政が大改修
- 江戸時代:西国大名の監視拠点として活躍
- 明治時代:廃城の危機を乗り越えて保存
- 1993年:世界遺産に登録
姫路城は、日本の城郭史において最も完成された城の一つであり、その歴史的価値は計り知れません。
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