Japan – April 3, 2023 : Himeji Castle with Pink Sakura Branches fully blooming in Springtime, Himeji, Hyogo

姫路城の歴史

1. 姫路城の起源

姫路城の歴史は、室町時代にさかのぼります。現在のような大規模な城郭が築かれる前、姫路城は小規模な砦として存在していました。

時期出来事
1333年(元弘3年)赤松則村が砦を築く(姫山城)
1346年(貞和2年)赤松貞範が本格的な城郭を建設
1441年(嘉吉の乱)赤松氏の没落、城の支配者が交代
1580年(天正8年)豊臣秀吉が三層の天守を築く
1601年(慶長6年)池田輝政が姫路城の大改修を開始

姫路城は、赤松氏の築城に始まり、戦国時代には城の規模が拡大されていきました。


2. 豊臣秀吉の改修(1580年)

戦国時代になると、播磨国(現在の兵庫県)は戦国武将たちの争奪の場となります。その中で、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)は、織田信長の命により播磨を平定しました。

武将名関係主な出来事
織田信長豊臣秀吉の主君1576年、播磨の攻略を命じる
豊臣秀吉姫路城主1580年、三層の天守を建設
黒田官兵衛秀吉の軍師姫路城の築城に助言

秀吉は、姫路城を拠点に中国地方へ進出し、最終的に毛利氏と和睦しました。その後、城の重要性が高まり、三層の天守が築かれました


3. 池田輝政による大改修(1601年~1609年)

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利し、幕府を開くと、池田輝政が播磨52万石を与えられ、姫路城の大改修を行いました。

築城者改修の特徴
池田輝政五重の大天守を建設
本多忠政二の丸・西の丸を整備
松平忠明城の維持管理を担当

現在の姫路城の姿は、池田輝政による改修によって完成しました。この時点で、日本最大級の城郭へと進化しています。


4. 江戸時代の姫路城

Himeji, Japan – May 16, 2015: Main tower of the Himeji Castle, the white Heron castle, Japan. UNESCO world heritage site after restauration and reopening.

姫路城は、江戸幕府の西国支配の要として機能しました。城主は頻繁に交代しましたが、常に幕府の信頼が厚い譜代大名が配置されました。

城主の名前在任期間主な功績
池田輝政1600年-1613年姫路城の拡張
本多忠政1617年-1631年西の丸の整備
松平忠明1639年-1644年城の修復と維持
榊原政岑1741年-1749年城の改修と財政改革

姫路城は、西国大名を監視する拠点として機能し、特に外様大名(毛利氏や島津氏)への抑えとなりました。


5. 明治維新と廃城令(1873年)

明治維新後、多くの城は廃城となりましたが、姫路城は奇跡的に残りました。

出来事
1871年(明治4年)廃藩置県により、姫路藩が廃止される
1873年(明治6年)廃城令により、城の建物の多くが取り壊される
1879年(明治12年)姫路城が陸軍省の管轄となり、保存が決定
1912年(明治45年)修復工事が開始される

姫路城は、幸運にも陸軍の駐屯地として利用され、完全な破壊を免れました。


6. 戦後の復興と世界遺産登録

第二次世界大戦中、姫路城は爆撃を受けましたが、大きな被害はありませんでした。その後、大規模な修復が行われました。

出来事
1956年(昭和31年)大天守の修復工事が開始される
1993年(平成5年)ユネスコ世界文化遺産に登録
2015年(平成27年)「平成の大修理」が完了

世界遺産登録後、姫路城は日本を代表する文化遺産となりました。


7. まとめ

姫路城の歴史は、室町時代の砦から始まり、戦国時代に豊臣秀吉の城として成長し、江戸時代に西国の抑えとして機能したという流れです。

  • 1333年:赤松氏による築城
  • 1580年:豊臣秀吉が三層の天守を建設
  • 1601年~1609年:池田輝政が大改修
  • 江戸時代:西国大名の監視拠点として活躍
  • 明治時代:廃城の危機を乗り越えて保存
  • 1993年:世界遺産に登録

姫路城は、日本の城郭史において最も完成された城の一つであり、その歴史的価値は計り知れません。

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