日本の戦国時代は、果てしない戦いを繰り広げた時代であった。

日本全土が、鎧甲冑を身に着け、世界最高水準の刀を引っさげ、自身が持つ所領や都市を守るため、戦った。さらには、領土拡大を図り、隣国へと攻め込む。

戦闘能力を最大限にまで引き上げた武装集団が、群れを成して襲いかかる様は、さぞ、恐ろしい光景であったろう。

そうした力がものを言う時代において、非武装の民衆は非力であった。

中には一向一揆となり、集団武装した民衆もあった。堺の街のように都市部が武装蜂起したところもあった。比叡山の延暦寺の僧兵や、摂津の本願寺の僧兵のように僧侶が武装蜂起したところもある。

こうした武装蜂起する背景には、強力な武器の発達があればこそ、生まれた衝突である。

日本刀は驚くほど強力な武器であった。世界最高水準の切れ味と高剛性を兼ね備えた刀は、人の戦闘能力を格段に高める。刀によって、日本全土は、混乱の世界へと移ったと言えよう。

新たな世界が形成され、時代を動かす。

そこには、力の根源が必ず存在した。100年もの長きに渡って、日本全土は戦禍の絶えない世界と化した。

100年もの悲惨な惨状が続いたことで、人々の厭戦気分は最高潮にまで達した。どの階級に至っても、嘆きと悲しみに満ちた世界を作り出した戦国合戦は、終結を望む願いへと変わる。

どの階級においても、合戦による期待と不安が満ち溢れた。最後には期待よりも不安への払拭の力の方が大きくなり、天下統一という大きな流れを作り出した。

それは、織田信長であり、豊臣秀吉であり、徳川家康による天下統一への道のりでもあった。

彼らは、一種の天下統一という大義名分こそが、見失った戦国期の日本の中で唯一信ずべき理念であると気づいたのだ。

天下争乱を統一し、戦乱の世を収める。戦禍に乱れた世を断ち切り、本来あるべき平穏な世の中を作り上げるべきことが、何よりも大事の事柄という強い信念が彼らを突き動かしたのだ。