脇坂 安治
わきざか やすはる
1554-1626
享年73歳。

名称:甚内、中務少輔、従五位下
居城:淡路洲本城

■脇坂安明の長男として近江浅井郡に
生まれる。
1569年(永禄12年)、織田軍の明智
光秀に従い丹後国黒井城攻略戦に
参軍。
同年、秀吉麾下となり、浅井氏攻め
に従軍した。

■別所氏の播磨三木城攻めなど秀吉
の中国攻略戦に従軍した。

■1583年(天正11年)、賤ヶ岳の戦い
で戦功を挙げ、七本槍の一人に列
した。
これら一連の功績により、山城国に
3000石を拝領した。
1585年(天正13年)には、従五位下
中務大輔に叙任され、淡路洲本城
3万石を領した。

■その後、九州平定戦、小田原の役な
どに参軍。
文禄の役の際には、九鬼嘉隆、加藤
嘉明らとともに水軍の将として出陣。
慶長の役では、軍船を率いて渡海
した。

■朝鮮出兵という軍役の合間に安治は、
伏見城の普請工事など事務官として
の勤めもこなした。
関ヶ原合戦では当初、西軍に属した
が戦いの半ばで東軍に呼応し、戦後
処理では所領安堵を獲得した。

■1614年(慶長14年)、伊予大洲5万30
00石に移封となる。
1626年、京都西洞院にて没した。
享年73歳。