やぎゅう としよし
1579-1650
通称:兵介、長厳、如雲斎、伊予守
柳生新陰流の開祖・柳生宗厳の孫。
柳生厳勝の子として生まれる。
厳勝は柳生宗厳の長男であったが、初陣の際受けた銃創で不具と成り、隠遁していた。しかし、武芸は卓越を極め、柳生新陰流二代目として印可を受けていた。
利厳は父譲りの武技の才を現し、その才覚の豊かさは、祖父・宗厳の再来として脚光を浴びた。
26才にして、加藤清正より重臣として迎えられ、3千石を与えられた。
熊本にてキリシタン一揆の掃討戦に活躍するも、その後、官を辞して諸国流浪の武者修行に出る。父・厳勝より一子相伝の武術を受けた。
その後、尾張藩・徳川義直に仕え、5百石を受け、徳川家に柳生新陰流の奥義を授けた。