村上 武吉
むらかみ たけよし
1533-1604
享年72歳。
名称:武慶、少輔太郎、掃部頭、大和守、従五位
居城:伊予熊島城→安芸竹原珍海山城
■瀬戸内海に浮かぶ能島に拠点を置く、
戦国最大の海賊を率いた頭領。
村上義忠の子。村上通康の娘を正室とする。
能登村上水軍の総大将。
村上氏の遠祖は、清和源氏とも村上源氏とも
伝わる。平安時代末頃から伊予国の河野氏と
結んで瀬戸内海に勢力を張った。
南北朝時代、南朝のテコ入れのため、北畠顕家の
息子が村上氏に入り、村上師清と称したと
される。これが後の三島村上氏の始まりとされ、
能島、来島、因島の三島に師清の子たちが入り、
勢力を張ったとされる。
日本最大の海賊と呼ばれることが多い。
厳島の戦いでは小早川隆景が立てた
使者・乃美宗勝の説得で毛利氏に属し
て戦った。
■厳島合戦後、小早川隆景に属し、瀬戸
内海各地で大友水軍や織田水軍と
戦う。
戦国最強の水軍として恐れられ、無敵
を誇ったが、織田水軍が苦心惨憺して
造船した鉄船により、はじめての敗北
を喫する。
■また、織田家の調略により村上水軍の
猛将・来島通康が寝返るなど織田氏に
してやられる事件が起こったが、この
時、動揺する将兵に対し、武吉は一喝
して毛利氏への忠誠を新たに誓わ
せた。
■関白となった豊臣秀吉は、海賊停止令
を出している。
1588年天正16年、秀吉の海賊停止令に
背いたとして、豊臣政権から詰問を受ける。
嫡男・元吉が大坂へ赴き、弁明をしている。
武吉は、小早川隆景の所領筑前国へ身を移している。
■秀吉の朝鮮出兵の際にも、小早川隆景
の軍に加わり、老体ながら活躍した。
1598年慶長3年、死の直前の秀吉から、豊臣姓を
与えられている。
■瀬戸内海の海賊の総大将として名を馳せた
武吉であったが、荒くれ武者としてだけでなく、
一族の結束を固めるために伊予国にある
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)にて、
連歌の会を多数催して、多数の歌を
残している。
文武に秀でた人物であったことを伺わせる
逸話である。