おだ のぶひで
1511-1552 享年42歳。
■通称:三郎
尾張勝幡城主にして、尾張清洲三奉行の一人、織田信定の嫡男として生まれる。
1538年天文7年、信秀は、今川氏豊の居城・那古野城を謀略にて奪い取る。
愛知郡を勢力下に置き、勢力拡大を図った。
1544年天文13年、信秀は、美濃の斎藤道三の居城・稲葉山城を攻撃し、城下まで攻め込んだが、道三の反撃にあい、大敗した(加納口の戦い)。
1548年天文17年、犬山城主の織田信清と楽田城主の織田寛貞が謀反を起こすも、信秀は首尾よくこれを平定し、彼らを従属させた。
同年、第二次小豆坂の戦いで、今川軍の太原雪斎と戦うも大敗した。
1550年天文19年、織田方の西三河支配の牙城であった安祥城に今川軍1万が侵攻。太原雪斎を主将とする今川軍に対し、信秀の庶子・信広は奮戦し、一度は撃退するも、再び蹂躙され、安祥城は陥落した。
これにより、織田方の西三河への勢力は駆逐された。
この年から信秀は、体調を崩し、病に伏せる。
末森城にて死去。