結城家
ゆうきけ
居城:下総国結城城
家紋:三頭右巴
結城家は、小山政光の三男朝光が下総国結城郡に移り住んで、結城姓を称したことに始まる。
室町時代、嫡流の小山家が鎌倉公方に追討され、衰退すると結城家は、下野国において、一大勢力を誇った。
永享12年(1440)、結城氏朝が永享の乱で敗死した鎌倉公方足利持氏の遺児を奉じて、挙兵した。
世にいう結城合戦である。
しかし、この戦いは結城家の敗北に終わり、氏朝は自害して果て、結城家は落ち目となる。
そこからお家再興への努力が続けられ、宗家である小山家が後北条氏に屈服したのに対して、
結城家は頑強に抵抗し、豊臣秀吉が関東へ出張ってくると、これに臣従し、所領安堵を得る。
その後、徳川家康の次男秀康を結城家に迎え入れるほどに家格を上げた。
関が原の戦いで秀康が武功を立て、越前北庄68万石への出世転封を果たす。
結城家も大成を得たが、子孫が松平姓へ復姓したため、結城の家名は断絶した。