おがさわら のぶさだ
1521-1569 享年49歳。
別名:孫次郎、民部大輔。
府中小笠原家の一族で、信濃守護・小笠原長棟の次男として生まれる。
母は浦野氏。
兄に信濃守護となる小笠原長時がいる。
分家の松尾小笠原家に対抗するため、父・兄の命により松尾小笠原家へ派遣され、鈴岡小笠原家を再興した。
後に松尾城へ入り、本家を守り立てていく存在と成る。
兄・長時が武田攻めを敢行したものの1548年塩尻峠の戦いにて、武田晴信率いる武田軍の早朝奇襲で大敗すると、またたく間に信濃深志は武田侵攻を受け、1550年に陥落した。兄・長時は敗走するも信定は、いまだ伊那地方に拠って、頑迷に武田勢に対して抵抗し続けたが、1554年天文23年、ついに武田の伊那侵攻の前に敗れ、敗走した。
信定は兄・長時とともに東海道を上洛し、京都を経て、摂津に居を構える一族の三好氏を頼り、その客将となった。摂津芥川城を居城とした。
1568年永禄11年、将軍・足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長によって、摂津芥川城は落城させられてしまう。
1569年永禄12年、三好長逸らと共に足利義昭が居する本国寺を襲撃する。(本圀寺の変)
足利・織田連合軍を前に、信定は京都の桂川にて、敗死した。
信定の子・長継は、小笠原貞慶・秀政父子に仕えている。