長野県松本市にある松本城を訪問しました。
訪問日は、2019年9月7日です。
松本城の天守は、天守が連結している天守群からなっています。天守群は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳附櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の五棟で形成され、重厚さな美しさを保っています。大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守です。
現存する天守としては、5重6階建て天守は、松本城だけです。
漆を塗った壁面の見た目から烏城(からすじょう)と呼ばれることもあります。
松本城の名称となる前は、深志城(ふかしじょう)といいました。
戦国時代では、信濃守護・小笠原氏が治めていましたが、1550年、深志城主の小笠原長時は、武田信玄の侵攻に敗れ、敗走しました。
以後、武田の信濃侵攻の拠点となり、その後、1582年、武田家滅亡を経て、本能寺の変の動乱に乗じて、長時の子・貞慶が深志城の奪還に成功し、城の名を松本城に改めました。
1590年、小田原の役後、徳川家康が関東移封となると、徳川の家臣となっていた貞慶も下総へと移転し、松本城には、豊臣方の石川数正・康正父子が入りました。石川家領地時代に松本城は、現在の城の形に整いました。
松本藩の歴代の藩主たちの履歴です。幕府譜代の大名たちが領主を勤めていたことがわかります。
遠くには、雄大な山脈が見えます。冬は真っ白な雪山が連なるのが見えるはずです。
松本城の門をくぐると、中庭が見えてきます。
天守閣が庭を挟んで、立派にそびえ立っていますね。
400年前の創建当時の材木を使っているため、古びた歴史の重みを感じる外観ですね。
最上階の天井です。何かを祀っていますね。
天守からの眺めです。かなり人が小さく写っていますね。