室町幕府の関東管領とは?

関東管領(かんとうかんれい)とは、室町幕府が関東地方を統治するために設置した役職であり、鎌倉公方(かまくらくぼう)を補佐し、関東地方の政治・軍事を統括する最高職でした。室町幕府の将軍が京都で中央政権を運営する一方、関東地方は鎌倉府(かまくらふ)を拠点に独自の統治機構を持ち、関東管領はその中核を担いました。

関東管領の地位は、室町幕府の中でも特に重要な役職の一つであり、関東地方の守護大名をまとめ、幕府の命令を伝え、地域の安定を図る役割を果たしました。しかし、室町時代中期以降、関東管領と鎌倉公方の対立が激化し、関東地方は混乱状態に陥ります。


1. 関東管領の設置の背景

室町幕府は、1336年に足利尊氏が開いた政権ですが、関東地方には鎌倉幕府の旧勢力が強く残っており、幕府の支配が完全に及ばない地域でした。そこで、幕府は関東地方を安定させるために、鎌倉府(鎌倉公方)と関東管領という二重の統治機構を設置しました。

  • 鎌倉公方(かまくらくぼう):関東地方を統治する足利一門の大名(足利基氏以降)
  • 関東管領(かんとうかんれい):鎌倉公方を補佐し、実務を担当する最高職(上杉氏が独占)

この体制により、京都の将軍(室町幕府)→ 鎌倉公方 → 関東管領という階層的な支配構造が生まれました。


2. 関東管領の役割と権限

1)政治的役割

関東管領は、関東地方の行政を統括し、幕府の命令を鎌倉公方に伝える役割を持っていました。

  • 幕府の法令(「御成敗式目」や「建武式目」など)を関東地方に適用。
  • 関東の守護大名たちを監督し、調整役として働く。
  • 鎌倉公方に対して幕府の意向を伝え、政治運営を補佐。

2)軍事的役割

関東管領は、関東地方の軍事も担当し、戦時には関東の諸大名を動員して幕府や鎌倉公方を支援しました。

  • 幕府の意向で戦争を指揮することもあった。
  • 関東地方の守護や地頭の軍事力を統制し、戦乱を抑える。

3)幕府との調整役

関東管領は、幕府と関東公方の関係を調整する役割も果たしました。しかし、時が経つにつれ、関東公方と幕府の関係が悪化し、関東管領は次第に独立的な立場を取るようになっていきます。


3. 関東管領の主要な人物とその動向

関東管領の職は、上杉氏が世襲し、長らく独占しました。特に有名な関東管領を紹介します。

1)上杉憲顕(うえすぎのりあき)

  • 初代の関東管領。
  • 足利尊氏・直義兄弟の下で関東地方の統治に尽力。
  • 初期の鎌倉公方である足利基氏を補佐し、関東支配を確立。

2)上杉禅秀(うえすぎぜんしゅう)

  • 1416年、「上杉禅秀の乱」を起こし、鎌倉公方に反旗を翻す。
  • 幕府に敗北し、関東管領の地位は一時的に不安定になる。

3)上杉憲実(うえすぎのりざね)

  • 鎌倉公方・足利持氏と対立し、「永享の乱(1438年)」を引き起こす。
  • 幕府と連携し、足利持氏を滅ぼすことに成功。
  • その後、関東の支配を安定させるが、幕府と鎌倉公方の対立はさらに激化。

4)上杉氏の分裂

  • 15世紀後半、関東管領を務める上杉氏は、「山内上杉家」と「扇谷上杉家」に分裂。
  • これにより、関東地方の戦乱がさらに激化し、「享徳の乱(1454年~1483年)」が発生。

4. 関東管領と鎌倉公方の対立

関東管領と鎌倉公方は、当初は協力関係にありましたが、次第に対立が激しくなりました。

1)永享の乱(1438年)

  • 鎌倉公方足利持氏が幕府に反抗し、関東管領上杉憲実と対立。
  • 足利持氏は幕府に敗れ、鎌倉公方は滅亡。
  • これにより、関東管領の権力が強まる。

2)享徳の乱(1454年~1483年)

  • 関東管領上杉氏と新たな鎌倉公方足利成氏が激しく対立。
  • 足利成氏は鎌倉を追われ、下総(現在の千葉県)に移動(古河公方の成立)。
  • 関東地方は分裂し、「古河公方 vs. 上杉氏・幕府」の対立構造が生まれる。

3)戦国時代への突入

  • 関東管領と鎌倉公方の争いが続き、関東地方は戦国時代へと突入。
  • 上杉謙信が関東管領を継ぐも、関東の統一には至らず。

5. 関東管領の消滅とその影響

1)戦国時代の混乱

  • 16世紀に入ると、関東管領の権力は急速に衰え、戦国大名たちが各地で台頭。
  • 関東地方では北条氏(後北条氏)が勢力を拡大し、関東管領の影響力はほぼ消滅。

2)関東管領の最期

  • 上杉謙信が関東管領を継承したものの、彼の死後、関東管領の権威は完全に崩壊。
  • その後、徳川家康が関東を支配し、関東管領の制度は完全に廃止された。

6. まとめ

関東管領は、室町幕府の関東支配を担う最高職であり、鎌倉公方を補佐する立場にあったが、次第に両者の対立が激化し、関東地方の戦乱の原因となった。
最終的には関東管領の地位は消滅し、関東地方は戦国大名の時代へと突入しました。しかし、関東管領が果たした役割は大きく、日本の中世史において重要な存在でした。