後北条氏(小田原北条氏)の最盛期を支えたのが、北条氏政・北条氏照・北条氏規・北条氏邦の四兄弟です。

  • 長男・北条氏政(ほうじょう うじまさ):第4代当主として関東を統治するも、豊臣秀吉に敗れて自害
  • 次男・北条氏照(ほうじょう うじてる):軍事の要として各地で戦うも、小田原征伐で自害
  • 三男・北条氏規(ほうじょう うじのり):外交を担当し、唯一生き残った兄弟
  • 四男・北条氏邦(ほうじょう うじくに):北関東の防衛を担当するも、小田原征伐で降伏

本稿では、それぞれの兄弟の生涯・戦歴・性格・評価を詳しく比較し、彼らが後北条氏の歴史にどのような影響を与えたのかを解説します。


1. 北条四兄弟の基本情報(比較表)

項目北条氏政(長男)北条氏照(次男)北条氏規(三男)北条氏邦(四男)
生年1538年1541年?1545年?1548年?
役割後北条氏第4代当主軍事担当(城主・戦将)外交担当北関東防衛担当
統治地相模・武蔵・関東全域八王子城(武蔵)駿河・甲斐・遠江との交渉役上野・武蔵北部
主な戦功領土拡大・第二次国府台合戦対武田戦、北条領防衛戦豊臣政権との交渉上杉・武田との北関東攻防戦
小田原征伐後の運命切腹(享年53歳)切腹(享年50歳前後)生存 → 徳川家に仕える降伏・出家
評価統治は成功するも、外交判断ミスで北条家滅亡勇猛果敢な戦上手北条家の外交を支えた功労者北関東での戦闘指揮に優れた

2. 長男・北条氏政:北条家を最盛期に導くも、滅亡を招いた当主

wikipediaより参照:北条氏政 図像 (小田原城所蔵)

▶ 北条家最大の領土を築く

北条氏政は、父・北条氏康の跡を継ぎ、1571年から正式に後北条氏の第4代当主となりました。

  • 関東制覇を達成(上野・下野・下総を掌握)
  • 第二次国府台合戦(1574年)で千葉氏・里見氏に勝利し、関東の覇者に
  • 上杉謙信死後(1578年)、北関東の支配を拡大

▶ しかし、豊臣秀吉への対応ミスで滅亡

  • 1589年、上杉景勝との領地問題(名胡桃城事件)が発生
  • これを機に、豊臣秀吉が小田原征伐を開始
  • 1590年、小田原城で籠城するも敗北し、切腹(享年53歳)

🔴 評価:統治は成功したが、時代の変化を読めずに滅亡を招いた


3. 次男・北条氏照:軍事の要として各地で戦う勇将

▶ 八王子城の城主として軍事を担当

北条氏照は、武蔵国八王子城の城主として、北条軍の指揮を執りました。

  • 武田信玄や上杉謙信と戦い、北条領の防衛を担当
  • 多摩・秩父方面の要塞化を進め、北条軍の防衛線を強化

▶ 小田原征伐で八王子城が陥落

1590年、豊臣秀吉が小田原征伐を開始すると、氏照は八王子城で防戦しました。

  • しかし、前田利家・上杉景勝の大軍に攻められ、八王子城は落城
  • 氏照は小田原城へ退却するも、最終的に氏政とともに切腹(享年50歳前後)

🔴 評価:戦闘指揮に優れた勇将だったが、時代の流れには逆らえなかった


4. 三男・北条氏規:唯一生き延びた外交官

▶ 北条家の外交を担当

北条氏規は、主に外交を担当し、徳川家康や豊臣秀吉との交渉役を務めました。

  • 駿河・甲斐・遠江の諸勢力との調整を担当
  • 織田信長とも一定の関係を築こうとしたが、成果は限定的

▶ 小田原征伐で秀吉に降伏し、命を救われる

1590年の小田原征伐では、氏規は早くから秀吉に降伏を進言しましたが、氏政らは拒否。

  • しかし、最終的に秀吉に降伏し、唯一助命される
  • 徳川家康に仕え、江戸幕府の旗本として生き残る(1634年死去)

🔵 評価:優れた外交手腕を持ち、北条家で唯一生き残った兄弟


5. 四男・北条氏邦:北関東の防衛を担うも降伏

▶ 上野(群馬県)を統治し、北関東の防衛を担当

北条氏邦は、鉢形城(現在の埼玉県寄居町)を拠点とし、北関東の守備を担いました。

  • 上杉謙信・武田勝頼との戦いを指揮
  • 北関東における防衛ラインを強化

▶ 小田原征伐で鉢形城が陥落

1590年、小田原征伐が始まると、氏邦は鉢形城で抗戦するも、豊臣軍の猛攻を受け降伏。

  • その後、出家して武士の身分を捨てる

🔴 評価:戦上手だったが、最終的には降伏し、北条家を守れなかった


6. 北条四兄弟の比較まとめ

項目北条氏政(長男)北条氏照(次男)北条氏規(三男)北条氏邦(四男)
役割後北条氏の統治軍事の要(戦上手)外交担当(唯一生存)北関東防衛
最期小田原開城後に切腹小田原開城後に切腹徳川家に仕え、1634年に死去出家して降伏
評価領土拡大は成功するも、外交ミスで滅亡武勇に優れた戦将優れた外交官北関東の防衛指揮を担うも降伏

結論:四兄弟はそれぞれ異なる役割を担い、後北条氏の繁栄と滅亡を見届けた。
特に氏政と氏照は戦国武将として高い能力を持っていたが、時代の流れに逆らえなかった。