1. 大坂城と江戸城、小田原城の概要

項目大坂城江戸城小田原城
建設者豊臣秀吉太田道灌(築城)、徳川家康(改築)北条早雲(最初の築城)
完成年1583年(天正11年)1457年(長禄元年)、1606年(慶長11年)に徳川家康による大改修15世紀末(戦国時代初期)
所在地大阪府大阪市中央区東京都千代田区神奈川県小田原市
目的豊臣政権の本拠地徳川幕府の中心地関東の要塞、北条氏の本拠地
天守閣の有無あり(現在は復元天守)なし(1657年の火災以降未再建)あり(復元天守)

2. 城の規模比較

2.1. 本丸・天守の比較

項目大坂城江戸城小田原城
天守の高さ約58m(復元天守)約44m(江戸時代)約38m(復元天守)
天守の構造五重六階(現在の天守)五重六階(江戸時代)四重五階(復元天守)
石垣の高さ約20m約10m(内堀)約10m
石垣の特徴巨石を多用隅角部の算木積みを強調戦国期の曲輪石垣

2.2. 敷地面積の比較

項目大坂城江戸城小田原城
敷地面積約105ha(現在の大坂城公園)約230ha(現在の皇居部分)約50ha(城址公園)
外堀を含めた最大範囲約200ha約400ha約300ha(戦国期最盛時)
本丸の面積約6.5ha約11ha約5ha

2.3. 堀・防御設備の比較

項目大坂城江戸城小田原城
堀の種類外堀・内堀外堀・内堀・中堀空堀・水堀
堀の幅最大約75m最大約200m(外堀)約30m
門の数約13門約50門(江戸時代)約10門(戦国期)
防御施設障子堀、枡形門二重・三重の門、多数の櫓連郭式の曲輪構造、多重防御線

3. 城の攻め難さについて

3.1. 大坂城の防御力

  • 堅牢な石垣と広大な堀
    • 石垣は高さ20m以上、巨石を使用し攻め難い。
    • 内堀と外堀が深く、敵の侵入を防ぐ構造。
  • 籠城戦向きの設計
    • 大坂の陣で籠城戦を想定した戦略が取られたが、外堀の埋め立てにより弱体化。

3.2. 江戸城の防御力

  • 平山城としての防御力
    • 外堀・中堀・内堀による多重防御。
    • 城の周囲に大名屋敷が配置され、実質的な防衛網に。
  • 実戦で攻められた歴史がない
    • 防御網が強固であり、江戸時代を通じて戦闘が発生しなかった。

3.3. 小田原城の防御力

  • 戦国時代最強の籠城城
    • 北条氏の支配下で、小田原城は広大な防御網を形成。
    • 小田原評定で知られるように、徹底した籠城戦が可能な設計。
  • 1590年の豊臣秀吉の攻撃でも長期間耐えた
    • 豊臣軍20万の大軍を相手に3か月間持ちこたえたが、最終的に降伏。
  • 山間部に防御施設を配置
    • 石垣山一夜城の築城により心理戦での攻略を受けたが、純粋な攻城戦では非常に強固だった。

4. 結論: どちらが難攻不落か?

項目大坂城小田原城
防御設備高石垣・深堀連郭式曲輪・防御網
籠城戦の実績1614年・1615年の大坂の陣で持ちこたえたが、外堀埋立で落城1590年の小田原征伐で3か月間持ちこたえた
攻め難さの評価城郭自体は堅固だが、政治的な要因で落城防御力は高かったが、心理戦で攻略された

総合評価

  • 純粋な防御性能では「小田原城」の方が強固
    • 戦国最強の籠城城として設計されており、長期の籠城戦が可能。
    • 城域が広大であり、敵軍を容易に近づけさせない構造。
  • 「大坂城」は堅牢だが、政治的要因が影響
    • 石垣や堀の堅牢さは群を抜くが、戦国期ではなく江戸初期に攻略されたため、政治的な要因が絡む。

結論として、戦国時代の城として「難攻不落」を誇ったのは小田原城であり、江戸時代初期の防御力で評価すれば大坂城も強固であった。しかし、大坂城は外堀埋立てなどで弱体化し、実戦での攻撃には耐えられなかった点がある。