武田 信虎
たけだ のぶとら
1493-1574
享年82

■甲斐国守護十七代目・武田信縄
の嫡男として誕生。

■1507年2月4日、父・信縄が没し、
14歳で家督を継ぎ、甲斐国守護
十八代目となる。

■信虎が家督を継ぐとそれに不満を
持つ叔父・油川信恵は、郡内の
郷士・小山田家らを引き込み、信
虎に反旗をひるがえした。

■1508年10月4日、信虎はしぶとい
反逆者たちを豪雨に乗じて油川
家の本拠勝山城を奇襲し、油川
一族を掃討する。
信虎の初陣ともなったこの戦い
は、信虎の大勝利に終り、遠く京
都の将軍にまでその武勇が達し
たほどだった。
これを境に甲斐の豪族は信虎に
臣従する者が多く出た。

■甲斐統一を目指す信虎の前に立
ちはだかった甲斐の豪族は、郡
内の小山田氏と西郡の大井氏
であった。
まず、信虎は小山田氏を幾度とな
く攻め、小山田氏を苦境に追い込
めると攻め滅ぼさずに和睦し、武
田氏に従属させた。
ついで大井氏と戦い、これも制す
と大井信達の娘を娶り、政略結婚
を成立させた。
こうして、甲斐の有力豪族と親族
になることで基盤を強化した信虎
は、ついに甲斐一国を統一した。

■1519年、甲斐統一を果たした信虎
は戦略上有利な地点に本拠を移
し、躑躅ヶ崎館を築いた。

■戦好きの信虎は、休む暇なく信濃
攻略へと突き進んだ。
度重なる合戦への出兵で不満を
募らせた甲斐豪族たちは信虎の
嫡男・晴信を擁立し、駿河の今川
氏のもとへ追放する。

■信虎は、娘婿である駿河の今川
義元から厚遇を受けた。
その後、不仲となり信虎は上京
を果たす。将軍・足利義輝の相伴
衆となる。

■将軍・足利義輝が松永久秀、三好
三人衆らに謀殺されると信虎は、
仏門に入りそのまま信濃高遠ま
で帰ってくる。
しかし、息子・信玄と争いになる
のを嫌い甲斐には入らず、娘婿
の禰津神平のもとを頼った。

■1574年3月禰津館で没した。
享年82歳。

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