色部 勝長
いろべ かつなが
1520?-1568

名称:弥三郎、修理進


居城:越後平林城

■越後国人・色部遠江守憲長の子。
場北衆の一人として謙信の父・長尾
為景の代から長尾家に仕え、しばしば
揚北衆を率いる本庄繁長よりも上位の
席次を与えられた。

■1535年、上条再乱では上条方につい
たが乱後、再び長尾為景に属した。

■武田氏が北信濃葛山城を攻撃した際、
謙信から丁重な書面をもって出陣要請
を受けるなど上杉家の中でも一目おか
れた存在だった。

■1561年、川中島の戦いでは、危機に陥
った柿崎景家の軍を救援に向かい、武
田方の飯富虎昌らの軍と戦いこれを敗
走させて、形勢を逆転させる軍功を立
てた。
川中島の戦い後、謙信より「血染めの
感状」を賜り、軍功を賞賛されている。

■1564年2月、勝長は謙信の関東攻めに
従軍し、佐野昌綱の拠る上野佐野城を
攻略する軍功を立てた。
この軍功の恩賞として勝長は、佐野城
を預けられた。

■1568年、勝長は謙信に背いた同族の本
庄繁長を討伐中に死去した。