おがさわら ながたか
1540?-1581 享年42?歳
別名:又次郎、右馬助
府中小笠原家にして信濃守護であった小笠原長時の長男。
小笠原貞慶の兄。
子に小笠原諸島を発見したとされる小笠原貞頼がいるとされるが明確ではない。
1550年甲斐の武田晴信の信濃侵攻に敗れ、根城の深志城、林城を追われた小笠原一族は、京都へと上洛する。一族であった三好氏の奇遇を受け、畿内にしばらく逗留するも織田信長が京都へ上洛してくると勢力争いに敗れ畿内を後にした。
長隆は、遠江高天神城を治める高天神小笠原家へ救援に向かい、武田信玄に攻め込まれた小笠原長忠を助け、高天神城の守備を担った。
その後、越後の上杉氏を頼り、1581年天正9年4月、越中富山の戦いで長隆は、上杉軍に加わり、織田軍と戦う。
織田軍の佐々成政の軍勢に敗れ、長隆は戦死した。