しまづ としひさ
1537-1592
享年56歳。
名称:又六郎、左衛門督、金吾
■島津貴久の三男。
兄・義久、義弘に従い、島津軍略の
真骨頂となる四兄弟の巧みな連携
戦術により、九州制覇を目指した。
■兄・義久、義弘、弟・家久から見ると
活躍の場を全て奪われてしまった感
のある歳久であるが、島津軍の中核
として無難な活躍を見せている。
■1592年、朝鮮の役に際して、渡海し
ようと準備していた島津軍に不手際
が起こる。
菱刈軍の一領主であった梅北国兼
が肥後佐敷城に入り、反秀吉の一揆
を呼びかけ、蜂起したのである。
この反乱はすぐに鎮圧されたが、
この反乱軍の中に歳久の部下が
多く参加していたことから監督不行届
きの処罰が科せられ、さらに1587年
島津氏が豊臣氏に降伏したとき、
九州まで出張ってきていた秀吉に
歳久が謁見していなかったことを
責められ、歳久討伐命令が秀吉より
下ることと成る。
歳久討伐の任には、実兄の島津義久
が当たることとなり、戦国最強の四兄
弟の結束はもろくも崩れ去ることとな
る。
戦国最強の四兄弟のうちすでに弟の
家久が急死しており、続いて歳久が
討たれた事で、かつて島津氏が九州
制覇を成したあの栄華は完全に潰え
ることとなった。
島津 歳久
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