しまづ さねひさ
1511?-1563?
享年53?歳


名称:薩摩守
居城:薩摩亀ヶ城


■島津宗家の庶流である薩州島津家の
  五代目当主。

  薩州島津家は、薩摩北部の出水郡
  に勢力を持ち、亀ヶ城を本拠とした。
  島津宗家が平凡であったことに付け
  込み島津宗家の乗っ取りを企む。

■しかし、島津宗家の勝久は、島津貴久
  を後継者として、実久封じ込めに入っ
  た。
  これに奮起した実久は、猛烈な巻き
  返しを謀り、勝久の家臣を抱き込み、
  勝久をそそのかせた。

  勝久は家臣に諭され、後継者を貴久
  にしたことを後悔し、当初の目的で
  あった実久封じ込めを忘れて、実久
  と手を結び、忠良・貴久父子討伐
  の兵を挙げた。

  実久は先制攻撃を仕掛け、島津宗家
  の本拠・清水城を奪取し、余勢をか
  って、忠良・貴久方の日置郡南郷城
  を攻め、これを占拠した。

■島津宗家の家臣を抱き込み、島津勝
  久を操るなど策謀を尽くして緒戦は
  優勢を誇った実久であったが、直接
  対決の合戦に及ぶとたちまち武勇が
  振るわず、窮地に追い込まれた。

  実久は領土を南北に分断され、領土
  統制が狂うと、南部方面を全て貴久
  に占領され、勢力は急速に落ちて行
  った。

  薩州島津家の本拠・出水郡に押し込
  められる形となった実久は、進退が
  窮まると実子の義虎に家督を譲り、
  隠居することで島津宗家への帰属を
  果たした。

  これ以後、実久は歴史の舞台から
  退くことと成る。