たわら ちかひろ
1520?-1579
享年60?歳


名称:次郎、親実、常陸介
居城:豊後飯塚城


■田原家は大友一族の庶流の出であり、
  大友氏一族に列した。

  1534年、豊後で大内軍と戦った勢場
  ヶ原合戦で初陣を果たした親宏は、
  幾度となく豊前に出陣して、大内軍、
  毛利軍らと連戦を重ねた。

  1568年には、筑前n出陣し、毛利氏に
  寝返った高橋鑑種と戦い、これを敗走
  させる軍功を立てた。

■1578年、耳川の戦いで大友氏が島津
  氏に敗退すると、親宏は主君・大友
  宗麟を見限り、無断で日向より豊後
  へ帰国。

  親宏は先刻に領地代えした宗麟の
  処置に不満し、旧領の豊後安岐郷と
  国東郷の返還を要求した。

  宗麟は自身が行った領地代えを撤回
  する屈辱を味わうが国人領主の一斉
  蜂起を恐れ、親宏の要求をのんだ。

  要求がかなった親宏は、さらなる領土
  拡大を欲し、周辺の国人領主と蜂起
  する行動に出ようとしたが、蜂起寸前
  に体を壊し、急死した。
  宗麟によって毒殺されたとも伝えられ
  る。