おおとも ちかさだ
1535?-1570
享年36?歳。


■大友宗麟の実弟。
  1570年、肥前一円に勢力を張る龍造
  寺氏を討ち果たすべく、兄・宗麟は大
  軍を擁して肥前に出立。親貞はこれに
  従い、兄・宗麟に代わって、戦場での
  陣頭指揮を取った。

  兄・宗麟は、高良山に陣取り、戦況を
  見守ったが一向に進展がないことに苛
  立ち、親貞に手勢3000を与え、大友
  軍に付属する肥前国人衆を率いて、龍
  造寺軍殲滅を命じた。

  龍造寺氏の本拠・肥前佐嘉城にて龍
  造寺軍は5000余の兵で篭城した。

  対する大友軍は6万以上の大所帯で
  佐嘉城を包囲した。同年8月20日に総
  攻撃をかけることに決した大友軍に対
  し、龍造寺氏の重臣・鍋島直茂は敵本
  陣の夜襲を進言。

  夜襲敢行を決めかねる龍造寺家臣団
  に対し、龍造寺隆信の実母・慶誾尼(
  けいぎんに)の叱咤激励により、死中
  に活を求めるべく、意を決した龍造寺
  軍は、鍋島直茂が率いる手勢800で
  敵陣を夜襲。

  鍋島軍伝統の”赤熊(しゃぐま)”の威
  鎧(おどしよろい)を着込んだ猛者が親
  貞の張る今山の大友軍本陣を強襲。

  大混乱に陥った本陣で壮絶な斬り合い
  が行われ、親貞はあえなく討ち取ら
  れた。
  大友軍総大将の討死により、大友軍の
  統制が崩壊。浮き足立つ烏合の衆にす
  かさず、龍造寺軍が猛攻し、大友軍は
  成すすべなく敗走した。

  親貞のあっけない討死が大友氏の肥
  前侵攻を諦めざる終えなくした。