ほうじょう つなしげ
1515-1587
享年73歳。


名称:勝千代、孫九郎、道感、福島綱成
    (くしまつなしげ)
居城:武蔵川越城→相模玉縄城


■今川家家臣・遠江土方城主・福島正成(くしままさしげ)の子。
  1521年12月、父・正成が武田方の原友胤に討たれると、勝千代は家臣とともに小田原へ逃れた。

■その後、北条氏綱に養育され、父・正成の一字と氏綱の一字をそれぞれ取り、綱成と名乗った。
  当初は氏綱の側近として仕えたが、武勇にひいでていたことで、氏綱の娘を妻とし、後北条家一門に迎えられた。

■綱成は玉縄城主・北条為昌の後見となり、のちに為昌の養子となる。
  1543年に為昌が没すると綱成はその跡を継ぎ、玉縄衆を率い玉縄城主となった。

■1546年に勃発した河越合戦でも綱成は大いにその武勇を発揮。河越城を陥落させた。
  その後、綱成は、北条家屈指の武勇の将として活躍する。
  またそれだけではなく、氏康の名代として諸大名との外交交渉にあたり、有能な外務官として活躍した。

■1571年、主君・氏康が没すると、綱成は出家し、道感と号して、家督を嫡子・氏繁に譲り、隠遁した。

■1587年、後北条家の栄華を見届けた綱成は、没した。享年73歳。