ないとう つなひで
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名称:孫四郎、大和守、左近将監、大和守
居城:相模津久井城


■内藤家は代々、甲斐の国境にある津久井城主を勤め、後北条氏の領土拡大にともないこれに帰属し、そのまま津久井城主を勤めた。

 津久井城の周辺豪族を率い、内藤家は津久井衆筆頭を務めた。

■1590年4月、小田原征伐を敢行する豊臣軍が関東に飛来すると綱秀は津久井衆を率いて勇敢に豊臣軍へ野戦を仕掛けた。

  中郡白根に駐屯する豊臣軍と一戦を交えた綱秀は同年5月に津久井城修理普請を行い、周辺の郷村に呼びかけ、人員不足を解消すべく徴兵を実施。

  同年6月には相模諸地域で麦刈りを行い豊臣軍との決戦に備えたが、あえなく拠点の津久井城が陥落し、綱秀は消息不明となる。

  綱秀の子・内藤直行はその後、小田原城に入り、豊臣軍と戦ったが、北条氏が降伏し、滅亡すると高野山に出家する北条氏直に付き従った。