いのまた くにのり
?-1590


■北条氏邦の重臣。
  1589年、信州上田城主・真田昌幸と北条氏との間で上野沼田の地をめぐり、抗争が起こると、天下人・豊臣秀吉の裁定により、抗争解決が成ったが、邦憲は、真田氏の隙を突き、領地を奪取。

  真田氏の名胡桃城まで攻める単独軍略を実施。豊臣秀吉の怒りをかい、小田原征伐の要因を作ってしまう。

 小田原征伐後、邦憲は責任を問われ、はりつけに処された。