おさふね さだちか
1540?-1588
享年49?歳。
名称:又三郎、又右衛門、越中守
居城:播磨駒山城、備前津高郡虎倉城
■宇喜多家重臣。
主君・宇喜多直家の近習を勤めていた。
■1567年、宇喜多直家VS三村元親との
合戦に貞親は従軍する。
この明禅寺合戦をはじめとする幾度の
合戦に貞親は従軍している。
■1577年、天神山城主・浦上宗景を宇喜多直家が
滅ぼすと、貞親はその功労により、播磨国駒山城を
拝領した。次いで、備前国津高郡虎倉城を守備した。
■1582年、宇喜多家重臣・戸川秀安が隠居すると貞親は
その跡を受け継ぎ、宇喜多家の政事を采配した。
■1588年、貞親は妹婿の石原新太郎の叛乱に逢い、
居城・虎倉城にて斬殺された。