さなだ まさゆき
1547-1611 享年65歳。
■従五位下、安房守、源五郎、武藤喜兵衛
■真田幸隆の三男。武田信玄・勝頼の2代に仕えた。
信濃先方衆となり、地方領主として、武田勢の一翼を担う。
織田軍侵攻においては、武田勝頼に 岩櫃城 にて籠城戦を
推薦するも叶わず。
武田勝頼が小山田信茂の裏切りに会い、天目山にて、
一族郎党とともに自刃して果てると昌幸は織田氏の
軍門に降った。
滝川一益の与力となるが、本能寺の変により甲州・信州は
再び戦乱の地に。
昌幸は独力独立を歩む決断をする。信州へ群がる徳川氏、
北条氏の間を巧みに泳ぎきり、上杉氏に拠りて、ついには
豊臣氏に属して、独立を保った。
豊臣秀吉からは、”表裏比興の者”と言わしめ、油断ならない
曲者の名誉を得た。
生涯最も華々しく活躍したのは、関ヶ原合戦前の上田合戦で
あった。
若輩者の徳川秀忠を手玉に取り、歴戦の勇士が集う徳川軍を
籠絡し、翻弄させ、関ヶ原主戦場への遅延を見事実現した。
関ヶ原合戦後、高野山へ追放となる。
再度、天下分け目の大いくさをしたいと願いつつも、病没す。