増田 長盛
ました ながもり
1545-1615
享年71歳。
名称:仁右衛門、右衛門尉、侍従
居城:大和郡山城
■尾張あるいは近江出身と伝えられる。
秀吉に仕え、政務を担当。200石を拝
領して小牧・長久手の戦いにて軍功を
挙げて、2万石に加増された。
■朝鮮の役では、石田三成とともに軍務・
行政の二面に携わり、豊臣家五奉行の
一人に列した。これら一連の活躍で長
盛は大和国20万石を拝領し、郡山城
を居城とした。
■1600年、関ヶ原の役では長盛は、大坂
城に入り、豊臣秀頼の補佐という役目
を負った。
毛利輝元を牽制して、東軍への忠節も
見せたが、戦後、家康にその行動不審
を許されず、領地没収の上、武蔵岩槻
に配流となる。
■1615年、大坂夏の陣では、息子・増田
盛次の失態により、長盛はその責任を
とって71歳という高齢の身で切腹して
果てた。