ひねの たかよし
1539-1600 享年52歳。
主君:斎藤義龍→斎藤龍興→織田信長→織田信孝→豊臣秀吉→豊臣秀頼
別名:高弘
美濃国の戦国大名・斎藤義龍、龍興父子に仕えた。
斎藤龍興が尾張国の織田信長に追われると、高吉は織田信長に仕えた。
信長の嫡男・信忠の馬廻衆を勤めた。
1582年、信長・信忠父子が本能寺に斃れると、高吉は織田信孝に仕え、その後、豊臣秀吉に仕えた。
1590年天正18年、小田原征伐にて高吉は山中城攻略に功績を上げ、信濃諏訪高島に3万8000石を拝領した。
7年の歳月をかけて、諏訪湖畔に高島城を築城した。諏訪湖の湿地帯に囲まれた城は、まるで湖畔に浮かんでいるかのように見え、”諏訪の浮城”と呼ばれた。
高吉は築城の名手として、大坂城の築城や伏見城の築城で名を馳せた。
1600年慶長5年、関ヶ原合戦前の6月に病没した。高吉は徳川家康方に与し、戦に備えた。跡目は嫡男の吉明が継いだ。