せいふくじじょうのたたかい

天文3年(1534年)10月30日

大内義隆VS少弐資元・少弐冬尚

場所:佐賀県神埼市神埼町

史料:『大曲記』『北肥戦誌』『歴代鎮西要略』

中国の雄・大内義隆は、三津山合戦の敗報に接すると、重臣・陶興房を先鋒とする大内軍3万余を駆って、太宰府へ出陣し、そこに本陣を構えた。

大内軍の襲来に対して、少弐資元・冬尚父子は、このころ居城としていた肥前国勢福寺城に籠城して対抗した。少ない軍勢であったが、大内軍の攻撃をよく防いだ。

天文3年(1534年)10月30日、大内義隆は、少弐氏麾下の龍造寺家兼らを仲介として、祐基に和睦を勧告した。資元はよく抗戦したが、ついに刀折れ矢尽きたことを悟り、義隆と和睦することを決め、勢福寺城を明け渡した。