戦国時代には、日本各地でキリスト教の広まりがあった。
大名やその氏族にもキリシタンとなる者が現れた。
大友宗麟 ― 洗礼名:ドン・フランシスコ
戦国時代において、キリシタンの王国を作ろうと夢見て、古くからある寺社仏閣の破壊までした。
高山右近 ― 洗礼名:ジュスト
築城の名手として知られた。秀吉のバテレン追放令後も信仰を捨てず、後に国外追放となった。
蒲生氏郷 ― 洗礼名:レオン
高山右近の影響を受け、キリシタンとなった。
名将の才あり、奥州の雄・伊達政宗の対抗馬として、奥州会津を統治した。
織田有楽斎 ― 洗礼名:ジュアン
織田信長の実弟。利休十哲の一人にして、キリシタンであった。
黒田如水 ― 洗礼名:シメオン
38歳で洗礼を受け、信仰したが、秀吉の禁教令に表向きは従い棄教した。
小西行長 ― 洗礼名:アウグスチノ
キリシタン大名として知られ、関が原の合戦では西軍主力の一翼を担ったが、敗戦後、
自殺を禁ずるキリスト教のため、切腹を拒絶し、斬首された。
細川玉子 ― 洗礼名:ガラシャ
明智光秀の三女にして、細川忠興の正室。
関ケ原合戦の際、西軍の人質になることを拒み、屋敷に火を放ち、家臣に首をはねさせた。
京極マリア ― 洗礼名:ドンナ・マリア
浅井久政の次女。秀吉の禁教令後も布教活動を行った。
大友宗麟は、九州地方に強大な勢力を持ったが、キリスト教の改宗のために、領内の寺社仏閣の破壊を進めた。
その為、昔ながらの寺社仏閣と親交が深い家臣団の離反を招き、勢力の衰退を招いた。
秀吉が天下人として邁進するに当たって、キリシタンの存在が問題視されるようになる。
1587年(天正15)には、禁教令を出して、キリシタンの取締が強化された。