つがる ためのぶ
1550-1607 享年58
父:久慈 治義?の次男、または、大浦守信の子。
別名:扇、大浦弥四郎
津軽家当主、南部右京亮、右京大夫
居城:陸奥国大浦城 → 陸奥国堀越城 → 陸奥国弘前城(鷹岡城)
南部支族の久慈治義(くじはるよし)の次男と伝えられている。
大浦為則の弟守信の子とも伝えられている。
身長6尺(約180cm)余の長身で、豪傑であった。
為信は、大浦為則の娘・阿保良(おうら)と恋仲となり、
婿入りして大浦城を相続した。
当初、為信は南部氏に仕えていたが、1572年(元亀二年)、
南部氏中興の祖である南部信直の父・高信が住んでいた石川城を攻めた。
80人ほどの手勢で石川城を急襲し、これを落とした。
後に為信は居城となる弘前城を設けた。
敵の急襲を想定して、城の外郭に妻子を避難させる「長勝寺構え」と呼ばれる場所を設けている。
1603年弘前城の着工に入るも、為信は、京都にて没し、弘前城の完成を見なかった。