だて ただむね

1600-1658 享年59歳。

伊達政宗の嫡子として生まれる。異母兄・秀宗がいる。

母は、田村清顕の娘・愛姫。

1607年、徳川家康は、誕生したばかりの娘五女・市姫を忠宗の許嫁とした。

3年後に市姫が夭逝したため、代わりに池田輝政の娘・振姫(家康の孫娘)を

徳川秀忠の養女にして、忠宗に嫁した。

1611年慶長16年、将軍・徳川秀忠から松平の名字を与えられ、忠の偏倚を受け、忠宗と名乗る。

1614年慶長19年、大坂冬の陣で、父・政宗のと共に参陣し、初陣を果たす。

戦後、大御所・徳川家康から政宗に伊予宇和島10万石が与えられる。

異母兄・秀宗がこれを貰い受け、伊予宇和島藩を立てる。これにより、忠宗が伊達本家、仙台藩を受け継ぐことが定められた。

1636年寛永13年、父・政宗が死去したため、忠宗は家督を相続した。

仙台藩の基盤固めに努め、大いに功績を残したことから、守成の名君と評されている。