いまがわ うじざね

1538-1615 享年78歳。

■龍王丸、彦五郎、五郎、仙厳斎、宗誾

今川義元の長男として生まれる。

和歌や連歌、蹴鞠など京文化一色に染まりながら、成長する。

桶狭間の戦いでは、父・義元の討ち死にだけでなく、今川家の重臣

由比正信、一宮宗是など、さらに国人の松井宗信、井伊直盛など

数多くの将兵が討ち死にした。

手痛い敗北に喫した今川家の跡目を継いだ氏真は、国難経営

の手腕に期待が集まったが、結果は無策に尽きた。

松平元信(のちの徳川家康)は、桶狭間の戦い以後、

三河へ無断で戻り咲きした上、

独立を宣言し、三河領国の支配力を強めていた。

元信は、義元の弔い合戦をしようと氏真に呼びかけたが、氏真が

これに呼応することはなかった。

氏真の戦国大名としての器量に疑いを持った家康は、今川家

と手を切り、織田信長と同盟するに至る。

それでも今川家領国の求心力を強めるための手立てをほとんど

打たなかった。

徳川軍は遠江へと侵攻を開始し、同時に甲州の武田勢が駿河へと

押し寄せてきた。

1568年永禄11年、名門今川家は、駿河・遠江を失い、氏真は

後北条氏を頼って、落ち延びていくのであった。

その後、京都へと諸国漫遊の旅に向かう。

今川家系図<拡大図>