みよし まさかつ
1536-1631
享年96歳。
通称:孫四郎、任斎、右衛門大夫、因幡守、為三
摂津国江波城の城主。
三好政長の次男。
三好政康の実弟。
父・政長が三好長慶に攻め込まれ戦死すると、政勝は城を放棄して、香西元成、波多野晴通らと結んで、長慶に対抗した。
1570年、兄の政康や三好三人衆らと袂を分かち、新興勢力の織田信長を頼り、投降する。
のちに剃髪し、為三と称した。
一時期、豊臣秀吉に出仕したが、すぐに徳川家康へ鞍替えした。
1600年には家康に従い、会津征伐へ従軍した。
関ヶ原合戦後、政勝は讃良、河内、錦部三郡に2千石を与えられる。
大坂の陣にも参軍し、戦国乱世の終焉を見届けた。